この人を、父と呼ぶことは。

一生無いんだろう、と。
そう思う。



汚泥に覆われた



「十代目、終わりました」

書類を差し出せばそれを受け取った彼はちらりと流し読みしただけで、顔をあげた。
その明るいオレンジにも見える茶色の瞳が真っ直ぐに突き刺さり、ふわりとどこか温かみを持つ。
この時に、まるで膜を張った向こう側に追いやられたような。
そんな気持ちになる。

「うん、大丈夫だね・・・本当に吉治は俺と違って要領がいいなぁ」
父親の面子なんてだだ崩れだね、とクスクスと笑うその瞳は、けれど閉じられることなく真っ直ぐにこちらを見る。
まるで、何かを探すように。
「・・・十代目が、要領悪かっただけじゃないですか?」
「うわぁ・・・吉治、リボーンに似てきたね」
「それはどうも」
口元をひきつらせる彼に、にこりと口だけで笑う。


瞳を閉じることは許されていない。


目を逸らしたい衝動にかられながらも、じっとその瞳がどす黒い何かを孕んだままこちらを見つめるのを堪える。
この瞳の奥に見える何かに縋るような彼の姿は、いっそのこと哀しい気もした。


「勉強は、進んでる?」
首を傾げ問うその姿は、まるで父親のようだった。
いや、彼は確かに自分の父親であることはこの血が証明してくれるのだけれど。
なんだかそれに違和感を感じるのも事実だった。
「リボーンさん曰く、ダメツナもこうだったらもっと楽だったのにな、だそうですよ?」
「・・・リボーン・・・吉治に何吹き込んでるんだか」
はぁ、と彼が溜息を吐く。

愛されていないと感じたことはない。
きっと自分は彼に愛されているだろうということは知っていた。
・・・けれど、同時に、愛されていないだろうことも知っていた。

その瞳は、ただ、俺に残された“彼女”の欠片を捕まえようと必死に縋りつくだけで。
もうそれを求めることすら、疲れてしまっていた。
求めたって手に入らないことなんて、あの日からずっと。



“彼女”がここから出て行った時に感じたのは、絶望と諦めだった。
結局のところ、自分という存在は・・・“彼女”が誰よりも愛しただろう彼との子である自分の存在は、それでも傍にいたいと思わせられるような存在ではなかったのだ。
・・・ひょっとしたら、自分の知らぬ頃。
産まれたばかりのころ、あの女性の子ということになった頃から、既に決めていたのかもしれない。

真意なんて、わからないけれど。


大丈夫。
過去があれば生きていける。



「じゃあ、吉治。次はこれを頼むね」
「はい、十代目」

差し出された書類を目を合わせたまま受け取る。
父さん、と呼ぶことのない自分を、彼は一度も責めたことも言葉にしたこともなかった。
呼べない理由なんて、親子であることを強く証明するこの血に流れているもので知っているのかもしれない。

ただの一度も、父と呼んで欲しいとは、言われたことはなかった。

言われても、言葉になんて出来なかっただろうけど。
それでもただの一度も、眉を顰めたことすら無かった。
・・・それが、答えだったから。


「そろそろリボーンの授業の時間だから、それは終わってからでいいよ」
「はい。わかりました」
ちらりとその文書を一瞥して仕事内容を頭に入れながら頷く。
最終段階に入り始めた引き継ぎの一貫のこれは、あまり苦ではなかった。

もうすぐで、終わる。


「それでは、失礼します」
「うん」
くるりと踵を返して扉へと向かう途中で、ふいに彼から声がかかった。


「いってらしゃい、吉治」


その、まるで父親のように聞こえる声音は、酷く苦手だ。
ありもしない希望に縋りたくなってしまうから。
所詮違うのだと叩きつけられるから。

・・・大嫌いだ。


「・・・いってきます」



(―――それでも)