「あの子を、あのままにしておくつもり?」

「恭、弥・・・さん」


廊下に腕を組んでもたれている恭弥に、綱吉は息を呑んだ。
ひっそりとした廊下で、恭弥と綱吉の声だけが響いた。

「かわいそうに、泣いてるかもね、あのこ」
「っ!!」
低い声に綱吉は肩を揺らした。

静かにあの部屋の扉を振り返って、出たばかりの時に聞こえた涙の音を思い出して下唇を噛んだ。
ひどいことをしている、という自覚がある。

「ハルの『大好きなツナさん』が突然こんな行動に出るとは思いもよらなかっただろうね」


「――俺はハルを失いたくないんですっ!!」


外の音は聞こえないと知っているから、大きな声で叫んだ。
この廊下も今はひと気がないことも分かっていたし、ドン・ボンゴレの姿を壊さないことは無意識に染み付いていた。

だからこそ、こうやって叫べるのは守護者の前だけだった。


「いつからか分からないっ!でも、何時の間にか頭の中で浮かぶのは京子ちゃんじゃなくってハルでっ」

じわじわと浮かんで、ポタリと零れた。
何度も何度もそれを追うように零れて、綱吉の瞳は涙で一杯になっていた。


「失うかもしれないって思ったら凄く怖かった!失いたくないって強く思った!失ったら、俺はどうしたらいいのかわからないっ!」


ここにいるのが二人だけでよかったと恭弥はこっそりと溜息を吐いた。

こんなものを部下が見れば失望するだろう。
たった一人の、何の力もない女を失うことをこんなにも恐れるドン・ボンゴレなんて。

でも、と思う。何の力もない、だからこそ綱吉はここまで執着したのだと。


「っ、ハルを失いたくないんですっ!ハルを失うことなんてもう――耐えられない」
綱吉の手は酷く震えていた。温度調節のされたボンゴレ邸の廊下で一人寒さに耐えるように。


「綱吉・・・」
「分かってるんです・・・今の自分が、おかしいってことは」
ゆるりと、涙に濡れたままの顔で綱吉が立ち上がる。

「でも、俺が苦しいときに傍にいてくれたのは、闇に染まる前に光でいてくれたのは、ハルなんです」

手放せない。
彼の全身が語る、彼に対する彼女の必要性。


「ハルがもしいなかったら、俺は今笑えてないんです。このマフィアの世界を普通だと感じてしまってたかもしれない。当然のことだと感じてしまってたかもしれない。本当の当たり前を忘れさせないでいてくれたのは、ハルなんです」

マフィアになることを否定しつづけたまま、それでも仲間を護るためにマフィアになることを選んだ。

どれだけの思惑に揉まれただろう。どれだけの闇に囚われかけただろう。
その道のりは決して安易ではなく、一歩間違えれば闇に落ちかけない、一本のロープの上。


彼女がいたから、光に照らされて落ちることなく進めた。
彼女がいたから、その道を歩けた。


どれだけ変わっていっても、どれだけ外側が変化していっても、迷うことなく本質を見つけ出して笑いつづけてくれた彼女。

彼女にとって何気ないこと、が綱吉にとっては生きる糧にも等しかった。



「皆にも伝えておくよ」


恭弥は仕方が無いというように溜息を吐いた。
失う痛みなら、知っていた。


「すみません・・・恭弥さん」


今まで綱吉を救ってきたのは、ハルだった。
(だから、今回も救ってあげてよ、ハル)





だから彼は願いをかける



( 彼女ならきっと彼を救えると、そう確信があった )