愛無き――――。

 

 

 

その漆に躊躇う

 

 

 

三浦ハル、という名はボンゴレ内部でもそう広まってはいない。ボンゴレ情報部主任というのが通称だった。

安全面を考慮したゆえのことだろうが、話に聞く「情報部主任」とはまるで印象が違っていて驚いたのを覚えている。

 

プリマヴェーラ。可愛らしい名前だと笑ったその感情は、見合いの席で彼女に会った途端頭から吹き飛んだ。

 

 

 

「よろしく――――お願いします」

 

 

 

穏やかな瞳に吸い込まれるように視線を向ければ、その奥にぞっとするような決意を見つけて思わず息を呑む。

 

これが……三浦ハル。一般人でありながら十年かけて上り詰めた実力者、……か。

日本人らしく、慎ましやかな受け答えをする様子を密やかに観察してみる。脳裏に浮ぶのは事前に見せられた資料だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分がこの世に産まれ落ちたときから、全ての道は決められていた。

ボンゴレファミリーに古くから所属している“家”は、その全てにおいての決定権を持っていた。

自由だったのは――――自由だと、そう錯覚出来たのは、学生だった数年間だけ。

卒業と同時に言われるままボンゴレに入り、言われるまま定められた道を歩んできた。そう、今も。

 

いつか来るだろうと思っていた結婚もまた、やはり定められたものに過ぎなかった。

家の地位を過去より今、今より未来ずっと確かにする為だけのそれは、条件が合いさえすれば相手が誰でも構わない。

 

 

(……情報部主任、三浦ハル)

 

 

そうして舞い込んできた話は予想外の人物で、こちらとではあまりに不釣合いに高い地位に就いていた。

問題は、実力者である彼女には何の後ろ盾も家柄もなかったこと、である。それを気にする無粋な輩は多い。

その点からすれば彼女側としても悪い話ではなかっただろう。―――こちらは政略結婚を繰り返したお陰で家柄だけは立派なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食事を終えた後、見合いは一旦お開きとなり、受けるか否かは三浦ハル側が後ほど連絡する、ということで話がついた。

急かすような真似は流石に“家”も出来なかったらしく、あれから数ヶ月、時間を作っては彼女と会う日々が続いて。

 

 

 

「あ、こんにちは!」

 

 

 

快活な笑顔と声。漆黒の瞳が印象的な彼女は、会う度に見合いの時とは違った表情を見せてくれていた。

そして、気付く。いや、今まで気付かなかったのがおかしいくらいに、彼女は隠すのが上手かった。

 

 

三浦ハルは、叶わない恋に身を焦がしている――――。

 

 

事前に渡された資料を見た時には何も思わなかったが、彼女はボスである沢田綱吉やその守護者達と付き合いが長い。

親しげな態度は誰に対しても変わらなかったが、明らかに友人を見る目と、ボスに向けるそれとは違っていた。

よくよく観察していなければ分からない変化――――むしろ、守護者達はそれを知っていたのではないだろうか?

 

 

見合いをして情報部主任と個人的に会うようになってから、やけにあちこちで彼らと遭遇するのだ。

牽制……か、あるいは。もし彼女の気持ちを知ってのことであれば、尚更意味が違ってくる。

 

 

(なんという、………哀れな)

 

 

三浦ハルという人間は、実力でその地位を手に入れた。運と人脈とを味方に付けて。

しかし彼女に流れている血は、決して価値あるものではない―――――――。

 

三浦ハルが三浦ハルである以上、彼女が恋い焦がれている彼は、決して彼女を生涯唯一として選ぶことは出来ない。

二番目、三番目ならあるいは可能かもしれなかった。けれどそれは、お互いが望む形ではないのだろう。

だから駄目なのだ。慣習は容易に変えることなど出来ない。ボンゴレはそこまで大きな組織に育ってしまっている。

 

酷く、哀れだと思った。

ドン・ボンゴレはやがて誰か地位のある家の娘と結婚するに違いない。そして子を残すのだ。その血を紡いでいくために。

そして彼女はそれを傍で見守るのだろう?穏やかに笑って―――――そう、全てを諦めて。

 

 

(ああ……だから、見合いを受け入れたのか)

 

 

隣に立って、共に生きることができないのならせめて、傍で彼を守る礎となる。それはどんな覚悟なのか。

 

 

 

 

しかしよくよく考えてみれば、あまりにおかしな事だった。

彼女は己の確固たる“地位”を求めこの見合いを受け、自分は家の安寧の為に定められたレールを進む。

そして彼は―――彼は?沢田綱吉は、実際、この見合いを―――三浦ハルのことをどう思っているのだろう。

 

 

一度だけ。たった一度だけ、三浦ハルとお茶を飲んでいる時に、ドン・ボンゴレが顔を出した事がある。

常日頃から穏やかだと、悪く言えば昼行灯と称されるように落ち着いていて、特に変わった様子は見られなかった。

 

なんだ、彼女の片想いだったのか……と納得しかけたところで、一瞬だけ、鋭い視線が己の身体を貫いた。ように、思った。

 

 

(夢かもしれない、……幻かもしれない)

 

 

彼女の立場を利用しているという罪悪感が見せたものに過ぎなくても。そこに、ほんの少し、自分を重ねた。

明るく奔放なその姿に同情の念を覚えたのだ。自分もまた、この見合いのためにひとりの女性を切り捨てなければならなかったから。

 

 

 

彼女がそうやって己の全てを投げ出してまで愛する男の力になりたいと願うなら、この手を差し伸べてみたい。

そしてせめて、彼女に穏やかな生活を贈ろう、と思った。余計なことに煩わされることのない、――――安寧の生活を。

 

あるいはそれが………何もしてこなかった自分に出来る、唯一の“家”への反抗になるような気がして。

 

 

 

 

ああ、酷く哀れだった。マフィアというしがらみに囚われた、自分達が。