自分の知らない内に、色んな事が起こっていた。
沢山の人が、動いていた。
青に、溶ける
『ツナを狙った連中はキャバッローネが捕まえた』
ディーノはそう言うとふっと笑みを消し、その秀麗な顔を歪める。ハルは呆然と立ち尽くすしかない。
何が何だか全く理解できなかった。“もう大丈夫だから”―――そう言われたって実感は無かった。
「ハル、お前肩やられてるな。それにここも・・・・殴られたのか」
彼はハルの赤く腫れた口元にそっと手を触れ、怒りを隠そうとしない強い口調で吐き捨てる。
触れられた瞬間に走った痛み。びくっとして身を退くと、慌てた様子で謝られてしまった。
それに連鎖するように、撃たれた左肩が今頃になってじくじくと痛み出してくる。・・・・・・・夢じゃ、ない。
「そ、そんな、・・・・ど、どうしてディーノさんが、だってあれはっ」
「あ――そりゃまぁ何つーか、殆ど偶然だったんだけどよ」
そう言うなりディーノは慣れた手つきで戸惑うハルを誘導し、近くにあった段差に座るよう促す。
足の先から力が抜けていくような錯覚を覚えていただけあって、ハルは素直に従った。抵抗する気は起こらない。
そうやってきちんと座ったのを確認してから、彼はぽつりぽつりと事の次第を説明し始めた。
そもそも今日この場所この時間帯は、キャバッローネが仕事の関係で一切の出入りを制限していたのだという。
にも関らず、関係者以外誰も居ない筈のこの場所で―――聞こえる筈のない銃声が、聞こえたこと。
「てっきり情報が洩れてて、どっかの馬鹿が襲撃に来たのかと思ったぜ」
銃声。
ハルが撃たれた時のものか、ハルが撃った時のものか。
多分後者だろう。全弾撃ち尽くした上に、ハルの持つ銃にはサイレンサーなど付いてはいなかったのだから。
結局それを頼りにディーノ達は例の倉庫を見つけ出し、中に居た三名をまず捕獲したらしい。
誰なのか、何の目的があったのか、そして何が起こったのか―――それを聞き出す為に。
「え、じゃあ生きて・・・たんですか?」 まだ。
「それは―――、・・・・心配するな。お前は気にしなくても」
「っ教えてください!私が―――私がやったことです。知る義務があると思います!」
知る権利がある、とは、口には出せなかった。本当は知りたくない。
彼が口を噤んだ時点で誰かは死んでいるのだと・・・・語られずとも分かってしまったから。
それでも事実をあやふやにしたままで、罪から逃げたいとは思わなかった。だから尋ねた。
――――かつてない程真剣な面持ちのハルに、ディーノが根負けするのも時間の問題だった。
「発見した時には三人共息はあった。内一人は致命傷で・・・・腹にもろ2発、喰らっててな。そのまま死んだ」
「・・・・っ、そう、ですか・・・・」
後悔はない。それははっきりと言える。
でも。
「一人は気絶。手に怪我してる奴だ。足を撃ち抜かれてた。出血は多かったが命に別状はない」
「ああ・・・・私を、撃ったひとですね。その人の手の怪我も、私です」
「・・・・・・・・・。で、残る一人は・・・・・何かずっと悶絶してたぞ?あれって、まさか」
「ええ、ビアンキさんから貰ったデンジャラスなクッキーを使ったんですけど」
「やっぱりか」
道理で見覚えがあると思った、等と呟く声を聞きながら、ハルは誘拐犯達に想いを馳せていた。
(今日、私は初めて人を殺した。自分の身を守る為に。それだけの為に)
三人の内、死んだのはたった一人。確かにあの時、全員殺すつもりで撃ったのに。
何人死んだとしても、殺したことに変わりはない。殺そうと決意したことに変わりはない。
しかし、安堵する自分と―――どこか冷静な自分が心の中で反発しあっている。
皆なら。ボスなら。マフィアの一員として頑張っている彼らなら。誰一人として生かしはしなかっただろう。
情報を引き出すだけ引き出した後、やっぱり一人残らず殺すだろう。
(少しの情報さえ引き出せもせず、三人を満足に殺せもしなかった私は、・・・・私は。)
瞬間、ぞくっと全身に震えが走った。恐怖から?いや、何故だかわからないけれど、酷く――寒い。
「っ、おい、ハル?・・・どうした!?」
「いえ、すみませ・・・・」
ちょっと寒くて、と言ったつもりがそれは音になっていなかった。声が・・・出ない。
次いで視界がぐにゃりと歪む。眩暈がする、と自覚した時には、ハルはディーノの腕の中に居た。
眼前に薄暗い空が広がっている。次第に狭まっていく視界の隅で金色の髪が風に吹かれて煌いた。
「お前、熱が・・・・・・ロマーリオ!医療班をこっちに回せ!」
(熱・・・?そういえば、何だか先刻から・・・肩が熱いような、気が・・・)
手当てされたとはいえ、薄汚い布が巻きつけられているだけである。出血を止める程度でしかなかった。
(でも、とても、寒い―――)
それが、ハルの最後の思考だった。
これから彼女は深い深い眠りにつく。惨たらしい傷も、いつかは必ず癒えるだろう。
否応なしに意識の底に堕ちていくハルは、まだ何も知らない。まだ何も、気付かない。
それでもやがて、長い治癒の眠りから覚めた彼女は、目の当たりにする。
―――愛すべき日常が、脆くも崩れ去ってしまったことを。