この苦しみは、一体何処から来るのだろう。

 

 

 

 

 

了平は京子の元へと急ぎ、山本は資料作成の準備を、骸はクロームに連絡を取る為席を立った。

部屋に残されたのは家庭教師とその教え子だけ。言葉が交わされることもなく、不気味なまでに静かな時間が流れる。

 

リボーンがあからさまに訝しげな視線を向けているのに、敏い筈の綱吉は全く気付いた様子もない。

 

深い思考の海に囚われた―――その昏い瞳には一体何が映っているのか。

 

 

何の感情も読み取れないことに酷く焦りを感じて、リボーンは苛立たしげに口を開いた。

 

 

 

「・・・・・おい」

「・・・え?・・・・・っ、ああ、何?リボーン」

「お前、―――妙なこと考えてないだろうな」

「妙なこと、って?」

 

 

 

綱吉は心底不思議そうに首を傾げる。嘘を、吐いている様子はない。だとしたらまだ自覚がないのか。

これがただの杞憂なら。いや、そうであって欲しいと思う。何よりもコイツ自身の為に。

 

何かとんでもないことをやらかして――――後で一番傷つくのは多分、他の誰でもない、やった本人だろうから。

 

 

 

「わからねぇなら、それでいい」

「・・・・。リボーンお前今日何か変じゃないか?」

「このダメツナが。そりゃテメェの方だボケ」

 

 

 

それは普段通りのやりとり。それとも、この状況でそれが出来ること自体が既におかしいのかもしれない。

長年の勘が警鐘を鳴らしているのを感じながら、リボーンは再び溜息を吐いた。

 

 

(・・・今のツナに必要なのは、一刻も早くハルの無事を確認させてやる事だけだ・・・)

 

 

そんな少年の切なる願いは、一本の電話によって虚しくも打ち砕かれてしまう――――

 

 

 

 

 

 

 

 

突如鳴り響いた着信音。初期設定のままの無機質なそれ。

 

三浦ハル―――その名前が表示されるや否や、綱吉は急いで通話のボタンを押した。

 

 

 

「っ、もしもし・・・・!」

『ツナか。俺だ。すまねーが落ち合う場所を変更してくれ』

「ディーノさん?一体どう」

 

 

 

『ハルが倒れた。撃たれた傷が化膿し始めてるらしくてな、熱が―――』

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・え?」

 

 

 

一瞬、彼が何を言っているのか、全く理解できなかった。

心臓が五月蝿く鳴り響くのを聞きながら、何とか声を絞り出す。

 

 

ハルが誘拐されて。ハルが、撃たれて。

 

それでも尚、心のどこかで、まだ大丈夫なんだと信じている自分が、居た。

たいした事はないのだと。少し休めば怪我も治って、直ぐにいつもの日常が戻ってくるのだと。

 

愚かな誘拐犯を問い詰めその背後で糸を操っている黒幕を潰す頃には、何もかも元通りになっているのだと。

 

 

 

―――そう信じることで、ハルを失うかもしれない現実から逃げていただけだった。

 

 

 

『キャバッローネ系列の―――病院に―――・・・心配するな、腕は良いから』

「わかりました。・・・・・直ぐに、行きます」

 

 

 

兄弟子が告げたマフィア系の病院を頭の中で思い浮かべる。車で少し飛ばせば20分以内には着くだろう。

自分ではない誰かが喋っているような気分だった。全てが他人事のように思えてくる。

 

二言三言話した後静かに通話を終えた綱吉は、骸に連絡をとる為、改めて携帯を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――ハルは“こちら側”の人間じゃない―――

 

 

そんなこと分かっていた筈だった。いや、分かっているつもりになっていた。

 

 

(俺達なら・・・多少撃たれたって、耐えられる。倒れることなんか、ない)

 

(だけど、ハルは・・・・違う)

 

 

傷が化膿するなんて、銃創であれば危険すぎる。下手に感染症でも引き起こしたら最悪そのまま―――――

越えてはならない最後の一線を目の当たりにして、綱吉はその思考からまた目を逸らした。

 

歪みが生まれていることにすら、気付いていたというのに。

 

 

(本当に、俺は、ダメツナだ・・・・)

 

 

何を間違えた。どう間違えた。どこから間違えたんだ。

 

思考は過去へ、過去へと巡る。その錯綜の先に辿り着いた答えは・・・・・・あまりにも、今更なことだった。

 

 

 

“もし、あの時イタリアに連れてこなかったら・・・?”

 

ハルも京子のように―――比較的安全な日本に、置いて来ていたなら。

 

 

『戦えもしないモノを、何で連れて行くのさ』

『アホ女に耐えられるような甘い世界じゃないですよ!』

 

 

彼女がどうしても来たいと言ったから、それに根負けした、なんて。都合のいいこと。

泣きついてきたハルに、喜びを覚えなかったか。一緒に行きたいと涙を零すのを見て、酷く安心しなかったか。

 

自分はただ甘えていただけなのだろうか。自分達について行こうと必死になって努力していた彼女に。

 

 

その明るい笑顔に、自らにはない光を求めて。救いを、求めて。・・・・押し付けて、いた?

 

 

 

(・・・・・・・・・っハル・・・!)

 

 

 

祈る神など最早持ち合わせてはいないけれど。

 

 

 

―――――どうか、生きて。