高熱の所為か、ほんのりと上気した頬。苦しげな吐息。
その剥き出しの肩に巻かれた包帯は痛々しい程に白く、綱吉は思わず息を呑んだ。
青に、溶ける
幸い道中何の危険にも遭遇せず、無事目的地へ到着する事が出来た。リボーンは構えていた銃を静かに下ろす。
周囲に敵意を持った人間が居ないかどうかを注意深く調べながら、ふと前に座っている綱吉に目を向けてみた。
彼は、真っ直ぐに前だけを見詰め、何か別の事に思いを馳せているようだった。
出かける直前に見せたような昏い笑みはもう無い。
それどころか、酷く落ち着いているようにさえ見えた―――こちらが、訝しむほど。
「ツナ、こっちだ!」
キャバッローネ傘下の医療機関の前に車を止めるなり、抑えた声が掛けられた。ディーノである。
ロマーリオの姿は見えなかったが、他に数人の部下を背後に従え入り口付近でお出迎えときた。
何故わざわざ、と疑問に思うまでもない。あのディーノの事だ、こちらの複雑な心情を慮ってくれたのだろう。
運転席から綱吉が縋るように見上げると、安心させるように微笑んでから彼はそっと頷いた。大丈夫だ、と。
(・・・・最悪な事には、ならなかった―――か)
悲壮な色は見受けられなかった。リボーンは幾分安堵して、気付かれないように小さな溜息を吐いた。
それでも実際自分の目で確認しなければ何だか気が済まない・・・・のは、己の愛弟子とて同じ。
ドアを開けるその手間すら惜しいとでも言いたげに、綱吉は慌しく車を降りてディーノの所へ駆け寄っていく。
自分も後に続きながら、『これで何とか上手く収まるだろう』と―――そう、思っていた。
いや、そう思っていたかっただけなのかもしれない。
部屋の中央でベッドに横たわるハルを見つけた、その瞬間の心情を言葉にして表すのは難しい。
彼女の生きている姿を見れば、安心できると思った。身の内に湧き上がるこの恐怖を消し去れると思った。
なのに、何故だろう?
安堵する筈の心は嫌な音を立てて軋み、悲鳴を上げ。おまけに喉元を掻き毟りたいような衝動を覚える。
自分の感情が全然分からない。彼女が生きていた、それは喜ぶべきことじゃないのか?
嬉しい、とか。良かった、とか―――そんな感情よりも何故か痛さと苦しさと悲しさの方が上回った。
(・・・ハル・・・・)
綱吉は何かに引き寄せられるようにハルに近づいた。リボーンもディーノも止めようとはしなかった。
麻酔を打ってあります、という声が背後から聞こえる。確かに、傍に立っても目を覚ます気配はない。
(・・・・・・・ハル)
眠る彼女に、手を、伸ばして。
指先に触れた肌の熱さに、綱吉はびくりと動きを止めた。
覗き込んだ顔はほんのりと色付き、やはり苦しいのか微かに眉を寄せ、薄く開かれた口から漏れる呼吸も荒い。
「―――――――――」
無意識に唇を舐めていた。喉が・・・・酷く、渇いているような気がする。
綱吉はもう一度手を伸ばして―――触れて。口元に貼られたガーゼの端から見え隠れする赤黒い何かに目を細めた。
改めて全身を見やると、彼女は肩以外にも細々と小さな傷を負っている。埃塗れの薄汚れた身体。
それでも“そういう”痕跡は見当たらなくて、不謹慎とは思いつつ、若きボスは軽く口元を綻ばせた。
かの誘拐犯は三名だったと聞いている。一人は死亡、一人は重傷、もう一人は毒に侵され昏睡状態――――
そしてそれはハルがやった事だと、知らされた。
一瞬信じられなかったものの、彼女が必死で抵抗した結果であれば納得するしかない。
問題はその必死にならざるを得ない状況が、どんな種類のものであったか、ということだ。
誘拐犯は男で、複数。一方ハルは女性だ。しかも人質である。抵抗する術などそうは持たない。
―――もしかしたら、と、そういう思いは誰しも持っていた筈。
(身体の傷は癒せても、心の傷は・・・・直ぐには治らない)
ガーゼの上を触れるか触れないかの微妙な距離を保って過ぎ、頬にかかった髪を柔らかな仕草で退ける。
そのまま汗ばんだ肌を優しくなぞって――――喉の辺りで手を止めた。
片手で掴める細い首。このまま力を込めれば簡単に折れてしまいそうな、それ。
色んな意味で危険な思考を自覚することなく、またゆっくりとその手を動かして、ハルを確かめる。
リボーンが気を利かせたのか、今この部屋には彼女と自分しか居なかった。だから少し、泣きそうになった。
(・・・・・・ごめんな、ハル)
どれだけ怖かっただろう?・・・・どれだけ、泣きたかっただろう?
彼女は一体どんな思いで、雲雀の電話に出たのだろう。どんな思いで、自分に来るなと叫んだのだろう。
(捕まってる間、誰かの―――・・・俺の名前を呼んだり、した?)
直ぐに駆けつけてあげられなくて、ごめん。護ってあげられなくて、ごめん。
力なく投げ出された手を己の空いた手で捕まえて。涙を零さないよう、一度だけ強く目を瞑って。
でももう大丈夫だから、と。もう何も心配する必要はないから、と。
高熱で苦しんでいるハルの額に手を添えながら、綱吉は心の中でそっと呟いた。何も考えずに眠ればいい。
目を覚ます頃までには、全てを終わらせておくから。
これ以上誰も君を害する事など出来ないように。