あの人が笑ってくれたから。

 

私も、笑った。

 

 

 

 

 

 

覚醒は突然だった。―――何の前触れも無く、目覚めは訪れた。

目の前には白い天井。カーテンの隙間から光が差し込む。自分はベッドの上に横たわっていた。

 

頭はすっきり冴えていたので、そのまま起き上がる。随分と長い間、寝ていたような気がした。

 

 

 

「はひ、とってもいい朝です!」

 

 

 

両腕を挙げて、んー、と伸びをして。朝日を浴びたカーテンが綺麗に光るのを見て、思わず顔が緩んだ。

窓を開けて、新鮮な空気と光を取り込んで。そこでやっと部屋の隅々が見えてくる。

 

 

(・・・・・・・・ハルの、部屋・・・)

 

 

不思議と、そう思うことに疑問は持たなかった。見慣れない家具が傍にあったにもかかわらず。

 

 

そんなものは些細なことだと思った。ここが自分の部屋であることに変わりはないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

寝室にあったクローゼットの中から可愛らしいワンピースを取り出して、着替えて。

台所に置いてあったコーヒーメーカーで、一杯分のコーヒーを淹れて。

 

どこかふわふわした頭を持て余しながら―――ハルは独り、ずっと考え込んでいた。

 

 

此処には、生活に必要な全てのものが揃っていた。衣食住何不自由なく暮らしていける、場所。

 

 

(でも・・・・)

 

 

思い出せない。・・・・ここに来る前のことが、なにひとつ。

以前どこに住んでいたのか。どんな生活をしていたのか。・・・そもそも、何の為に此処に居るのか。

いや違う、ここは自分の部屋なのだから自分が居て何がおかしいのだろう。でもこの部屋、初めて見る――・・・

 

思考は同じ所を巡るばかりだった。矛盾していることにすら、ハルは気付けなかった。

 

 

深く考えようとすればするほど迷路に嵌って抜け出せなくなってしまう。

 

 

 

「・・・・・ツナ、さん」

 

 

 

ぽつりと無意識に零れた言葉。ツナ、ツナ、ツナ・・・・・ツナ、さん。ツナさん。

 

 

―――――“ボス”?

 

 

その瞬間、一気に意識がクリアになった。そうだった、そうだ、何でこんなことを忘れていたんだろう?

 

ここはイタリアで、ツナさんはマフィアのボンゴレ十代目で。皆はその幹部で。そして自分は―――

 

 

・・・・自分、は?

 

 

(ハル、は・・・どうして、・・・ハルは、)

 

 

 

「・・・ツナさんを追いかけて・・・イタリアに、」 来て。それから?

 

 

 

その後の記憶がすっぱりと抜け落ちていた。何度思い返しても何も思い出せなかった。

 

彼と離れたくなくて、無理矢理付いてきて。何かの仕事に・・・就いていたような、気がするのに。

 

 

 

「ハル、変・・・ですよね。病気でしょうか・・・・」

 

 

 

そして何よりも可笑しかったのは―――何も覚えていないのに、全く焦りもしない、自分自身だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれからどれ位の時間が経っただろう。

 

動く気が起きずにただソファに座り込んでいたハルを現実に引き戻したのは、控えめなノックの音。

 

 

 

「あ、はい!どうぞです!」

「ごめん、・・・入るよ」

 

 

 

ああ。

 

どうして、こんなにも泣きたくなるのだろう。

 

 

 

「――――――――っツナ、さん!」

「ぅわ、ちょ、ハル?!」

 

 

 

頑丈そうな扉を開けて入ってきたツナの姿を見た途端、訳の分からない衝動に全身が支配された。

その勢いのままに飛び付く。その瞬間こそ少し揺らいだものの、彼はしっかりと受け止めてくれて。

 

 

“生きている”―――そんな当たり前のことに、何故か酷く安堵を覚えた。

 

 

 

「ハル、落ち着けって・・・ほら。な?」

「ツナさん、ツナさん、ツナさん・・・・っ!」

 

「――――――――」

 

 

 

ぽん、ぽん、と慰めるように背中を叩かれる。今はその温もりがとても嬉しかった。

抱きついて離れないハルを見下ろし、『仕方ないな』という風にツナが笑っている。・・・・笑って、いる。

 

 

(ツナさんが幸せなら、・・・ハルはそれで良いんです)

 

 

滲んだ涙を気付かれないようにそっと拭った。ああやっぱり何かの病気かもしれない、と思いながら。

 

今生の別れでもあるまいし、まるでツナが死んでしまうかのように思ってしまっていた。

 

 

 

「どうしたんだよ、ハル。嫌な夢でも見たのか?」

「・・・・はひ。そうかもしれないです・・・っ」

 

 

 

夢なら、いい。

 

全部夢でも、いい。

 

 

 

自分が望んでいたのは、いつだって、彼が笑っていてくれること。ただそれだけなんだから。