目の前に広がるのは、幸せな、理想の情景。

 

――――綻びに気付くのは、いつ?

 

 

 

 

 

 

「はい、どうぞ!」

「・・・・・ありがとう、ハル」

 

 

 

これ以上もない位丁寧に紅茶を入れて、彼に差し出す。お茶菓子を切らしていたのは痛かった。

ごめんなさい、と謝ると少し困ったような笑顔で首を振ってくれる。大丈夫だから、とそう言って。

 

ハルはツナの前に座って、自分の淹れた紅茶を飲むツナを見詰めて微笑んだ。・・・・・幸せだった。

 

 

 

「体の調子は、どうかな。どこか悪いトコとかない?」

「はひ?ハルはいつも元気百倍ですよ!ばっちりです!」

 

「―――そう。だったら、いいんだ」

 

 

 

不思議なことに、ツナを見た瞬間に湧き上がった衝動はすっかり消えてしまっていた。

今では何故あんな風に抱きついてしまったのか分からないくらい。私はもう子供じゃないのに。

 

 

(昔は・・・そうすることに、何の疑問も持たなかったんですよね)

 

 

彼の迷惑も考えずに跳び付いて。でも結局毎回はっきりとした拒絶はされなくて。

だから余計、期待してしまっていた。もしかしたら、まだ望みはあるんじゃないかって。

 

 

そんな愚かな願いを、抱いていた――――『彼女』の存在そのものに目を瞑ったまま。

 

 

 

「なあハル、本当に大丈夫か?やっぱり調子悪いんじゃ」

「っいえ――いいえ。ちょっとぼうっとしてただけです。平気です」

 

 

 

何だろう、昔のことばかりが頭に浮かんでくる。現在のことが何も考えられない。思考が霧散していく。

 

一瞬だけ何かが頭を掠めた気がしたけれど、それは気遣わしげなツナの声によって掻き消された。

 

 

 

「ゆっくり休んでていいから。欲しいものがあったら持ってくるし、ね?」

「は、い・・・ツナさ・・・」

 

 

 

彼が優しく笑うから。だから・・・・それでいいと、思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

綱吉はそれから一時間程度、ハルと取り留めのない話をして、部屋を辞した。

少し前、骸からそろそろ目覚める筈だという連絡を受けて、いてもたってもいられず駆けつけた。

 

迎え入れてくれた彼女は―――事件前と何ら変わりない姿でそこに居て。

 

 

(傷自体は、もう塞がってるって言ってた・・・)

 

 

残る痛みも、感じないようにしてくれているらしい。つくづく便利な能力だと初めて思った。

 

 

幻覚を見せるという骸の力が―――まさか、こんな形で役に立つなんて。

 

 

 

「苦しい事は、全部忘れてしまえば良いんだ」

 

 

 

いきなり抱きつかれて驚いたけど。・・・・・彼女は終始、笑顔のままだった。

 

そしてそれは、自分が望んでいたものだったから。だから、間違ってない。これは正しいことなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

結果に満足して執務室に戻ると黒尽くめの少年が不機嫌そうに彼を待っていた。

 

普段は冷たく飄々としている天才殺し屋は、珍しくその瞳に怒りを滲ませて苛立たしげに吐き捨てる。

 

 

 

「随分と楽しそうだな。仕事放り出して何処へ行ってた、ツナ」

「っ、ああ、ごめんごめん。あの部屋に行ってたんだ」

 

「――!・・・・ハルか」

 

「うん。丁度目が覚めたところでね、ちょっと話してきたんだよ」

 

 

 

眠ったままの状態であの部屋へ移し、麻酔の投与を止めてから二日目の今日。漸く彼女は目を覚ました。

 

目覚めるまでは、と骸に入室を禁じられ、やっと逢えたのだ。話し込んでしまうのは仕方がない。

 

 

 

「元気そうだったよ。傷も――痛くはなさそうだったし」

「・・・・・・・・・・・・」

「特に状況を疑問視してるわけでも、なかったしね」

 

 

 

やっぱりすごい能力だよね、と呟きながらリボーンの傍を通り、己の椅子に腰を下ろす。

種類で言うなら洗脳に近いそれは、彼女を苦しみや悲しみから守るには最適な力だった。

 

あの部屋に居ることにすら、疑問を抱かない。それが当然のことだと思い込んでいてくれる。

 

 

 

「沢山用意したつもりだったけど、茶菓子は気付かなかったなあ。直ぐに買っておかないと」

「・・・・いつまで、」

「え、なに?」

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・いや」

 

 

 

何かを言いかけて止めるリボーン。何となく分かっていたが、わざと気付かない振りをした。

 

今はハルが安全な場所で暮らしていてくれることが、嬉しい。もう傷つくこともない。悲しむことも、ない。

 

 

 

「なあ、リボーン」

「何だ?」

「ハル、笑ってたんだ。俺の姿見て、凄く嬉しそうにさ」

「・・・・・ツナ。それは・・・」

 

 

 

その時溢れた安堵感は、ここ数年久しい感覚で。こっちが泣いてしまいそうになるくらいで。

 

今まで彼女の笑顔にどれだけ救われてきていたのか、痛いほど理解出来た。

 

 

 

「あの笑顔を守れるなら――――俺は」

 

 

 

何だって、出来るような気がするんだよ。