薄暗い倉庫。下卑びた笑みを浮かべてこちらに手を伸ばしてくる男。

全身を襲った衝撃。痛み。辺りに飛び散る赤い血。

 

 

『―――笹川、京子だな?』

 

 

 

 

 

 

 

ハルは全身をびくりと震わせて目を開いた。部屋の窓から朝日が差し込み、爽やかな鳥の声が響く。

視界一杯に広がった筈の赤い色はどこにもない。熱も痛みも、まったく感じられない。

 

 

(また、・・・・・・・夢・・・)

 

 

鈍い体に鞭打って起き上がり、いつもと同じように頬に手を当てた。・・・しかし予想に反して、そこは乾いたままで。

何故だろう?今日のだって酷く辛い夢だったのに。やけにリアルな映像が今も目の奥でちらついている。

 

 

変な男達に攫われた挙句ぐるりと囲まれて、銃で撃たれて。

それでも死にたくなくてがむしゃらに動いた。今までの日常に帰りたくて。――――に逢いたくて。

たとえそれが他の命を奪うことになったとしても、構わなかった。

 

 

それは自分で選んだことなんだ。自分の意思で、決めたことなんだ。そう、だから悲しむ必要なんかない。

 

 

 

「・・・・・ええ。だから、泣いたりする必要は、ないんです」

 

 

 

この頃のハルにとって、夢と現実との境界は曖昧だった。でももう幾ら考えても、警鐘は鳴らない。

 

夢のような現実と、現実のような夢。

全てがひとつに繋がるときは、すぐそこまで迫っていた―――

 

 

 

(夢、なんかじゃ、・・・・ない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぶないよ。この間そう言った彼の顔が脳裏に焼き付いて離れない。

 

朝食を終えその片付けをしながらハルは大きく溜息を吐いた。手の中で無意味に布巾を弄ぶ。

彼らしくないと思った。出会って十年程度の付き合いしかないけれども、ずっとずっと見てきたからそう思える。

 

どうしてあんな切羽詰った顔をしたのだろう。ただ、少し転びかけただけなのに。それだけのことなのに。

 

 

 

「それに・・・・あの、声も・・・・」

 

 

 

声音はとても柔らかい。そして労わりに満ちていた。心配してくれているのだとすぐに分かる位に。

普段となんら変らない筈の音には反論を許さない強い力が込められていて。一瞬で心臓を掴まれたような気がした。

 

 

   『行くから』

                     『―――ハル』

 

 

いつか、そんな声で名を呼ばれたような・・・?いつ、だろう。それがとても引っ掛かる。

きっと嫌な記憶なんだろう。それでも、この違和感を振り払うためにはどうしても知りたかった。

 

 

(思い出さなきゃいけないような、・・・そんな気がして)

 

 

どうにかして―――ああ、誰かにパソコンでも持ってきて貰おうか。そうしたらハッキングでもして―――

 

ハッキング?なんでそんなことを思ったんだろう。そんな物騒なこと、そもそも自分に出来るわけ・・・・

巡る思考は留まることを知らないが、意味不明な単語も浮かんでくるのでややこしい。

 

それともやはり“忘れている”だけなんだろうか。この怪我のように。いつかの声のように。

 

 

 

「うぅ、一体どうすればいいんでしょう・・・っ」

 

 

 

綱吉には絶対相談できない。それは彼の態度からして明白だ。多分何かを知っているとは思うけれど。

獄寺なんてもっての外。全て筒抜けになってしまうだろう。・・・・・その情景が目に浮かぶようだった。

 

 

 

「山本さん・・・は、頼りになるかもしれないけど・・・・」

 

 

 

天然なところがあるから、どこまでこちらの言いたいことを分かってくれるか心配だ。

悔しいことにハル自身、何を言いたいのかさえもはっきりとは分からないのだから。

 

 

 

「じゃあ、雲雀さ――――んはデンジャラスなので止めておいた方がいいですよね」

 

 

 

京子やクロームには話す気になれなかった。相談するジャンルが違うような気がするので。

残るは・・・・了平は考えるまでもない。無理だ。骸は骸でつかみ所がなさすぎて相談相手にはなりそうにない。

 

そこまで考えると最終候補はひとりだった。でも、あれから一度も来てくれてないのに、そんなことが出来るだろうか。

 

 

 

「嫌われたり・・・・してま、せんよね?リボーンちゃん・・・・」

 

 

 

だが今はなりふり構っていられない。とにかく一度、呼んできてもらおう。もしかしたら忙しかっただけかもしれないし。

 

新たな展望が開けた気がして、“よーし!”と気合を入れて右手を振り上げた、まさにその時だった。

 

 

 

がっしゃーん!と大きな音が部屋中に響き渡る。

 

 

 

運が悪かったとしか言いようがない。振り上げた手に硬いものが当たった、とそう自覚する間もなかった。

ものの見事に、ツナが用意してくれたブランド物の陶製ポットが床にぶち当たって割れてしまったのである。

 

 

 

「っ、あ・・・!そ、ど、あ、・・・・そ、掃除しなきゃ、」

 

 

 

貰いものを割ってしまったという罪悪感も相まって、ハルは混乱状態のまま床に散らばった破片に手を伸ばす。

どれだけ焦っていたのだろう、大きな欠片を幾つか拾っていると―――ざくり、と嫌な音がした。

 

 

見る間に血が溢れていく。赤。赤。赤い、色。

 

 

 

「い、」

 

 

 

ぱっくりと割れてしまった掌。肘まで流れていく赤い液体。鉄の錆びたような匂い。

少し太めの血管を傷つけてしまったのだろう、それは一向に止まる様子を見せなかった。

 

かすり傷なんかじゃない。止血が必要な、深い傷。――――それなのに、どうして。

 

 

 

「痛――く、ない・・・・?」

 

 

 

おかしい。怪我をしたのに痛くないなんておかしい。こんなに血が出てるのに。

“怪我をしたなら、痛いはず”。だって自分は人間だもの。訓練もされてない、ただの弱い人間なんだもの。

 

 

 

――――“ 怪 我 を し た な ら 、 痛 い は ず ” ―――――

 

 

 

そう強く思った次の瞬間、左肩に覚えのある激痛が走った。