彼が本当に、心の底からそれを望んでいるのなら。
私はいつまでも夢に浸っていてもいい。いつまでもこの部屋で待っていられる。
でももし、そうでないのなら。この部屋自体が、彼を苦しめているというのなら。
青に、溶ける
(―――――――?)
骸はふと何かを感じて書類の束から目線を上げた。今、確かに何かが揺らいだ。
すぐ近くで仕事をしているボンゴレに気づかれないように、“彼女”へ施した術を確認する。
・・・・少し揺らぎがあるものの、解けているわけではないらしい。それに安堵するべきなのかどうか・・・。
三浦ハル、多少銃は扱えるようだが強くはない。だからあまり強い幻術をかけるわけにはいかなかった。
彼女の自我そのものを壊してしまう可能性があるからだ。それは、この青年の望むところではないだろう。
(クロームも、随分懐いているようですし、ね)
人間とは所詮楽な方へと流れるものだ。彼女もまた、安寧な夢に浸り自力で目覚めることなどない。
この程度の揺らぎなら次第に元に戻るだろう、と術を強化するのは見送ることにした。
完全にただの人形になってしまっては、何かと不都合なこともある―――
幾分やつれた顔で仕事をこなしているボンゴレを横目で見つつ、骸は再び書類の整理へと戻った。
痛い。熱い。痛い。苦しい。・・・・痛い。痛い。痛い。
当然だ、と頭の中で声がする。
銃で撃たれたのだから痛いのは当然。血が止まらなくなるまで深く切ったのだから痛いのは当然。
傷は塞がったけれど鈍い痛みはいつまでも残る。でもそれは、自分が無闇やたらに抵抗したから起こったこと。
止血しない限り流れ出す液体は止まらない。でもそれは、自分が無闇やたらに欠片を拾い集めたから起こったこと。
(“私”が、いつも・・・・考えなしだから)
今まで痛みを感じなかった分だけ、今、体が悲鳴を上げている気がする。
そうかもしれない。だって怪我していることなんて知らずに、庇うことなく、普通に日常を送っていたのだから。
この痛みは、現実そのもの。夢の中で受けた傷は現実だった。あの夢達は、現実。
だとしたら今までの現実は夢だったのかというと、そうじゃない。流れる赤がそれを証明している。
「・・・・・・京子、ちゃん」
全部をはっきりと思い出すことは出来ない。まだ頭に靄がかかった感じがしてもどかしい。
それでも―――この肩の傷に関してだけなら、鮮明に覚えている。さっきまでは忘れていたけれど。
彼女が無事で良かったと今更ながらに思う。連絡を受けた皆がきっと、守ってくれたのだろう。
止血をしてみると、傷つけた血管が悪かっただけで思ったより深い傷ではないことが分かる。
(本当に・・・ドジばっかりですよね、私は・・・)
ああ、だから?だから、彼は自分をこの部屋へと連れてきたのだろうか?
連中から逃げるときに傷を負ったから。彼は優しいから、そのことにさえ傷ついて―――痛みを背負って。
「ツナさんのやりそうなことです・・・・っでも、でもでもそんな、」
だってそれじゃ彼自身が救われない。ハルを守るためにこの部屋をくれたのだとしても、彼は傷ついたままだ。
会いに来てくれるときはいつも笑ってくれていた。でもそれは、心の底からの笑顔だったのか。
ただ、『彼が笑っていてくれること』だけを望んでいた。それが本当の笑顔かどうかなんて、考えたこともなかった。
―――確かめよう。もしこの状態が真実、綱吉の救いになるのならそれで構わない。
でもそうじゃなかったら、これに少しでも彼を苦しめている要素があるのなら、その時は―――
綱吉と、骸と、リボーン。今日は珍しくその三人が執務室に揃っていた。
しかしこのメンバーでは会話が弾むわけもなく、微妙な沈黙がその部屋を支配している。
ふと、そこで重苦しい静寂を切り裂いた電子音。それはボス専用の携帯から発せられていた。
「・・・・え、」
若きボスは驚いたように目を見開き、慌てた様子で電話に出た。リボーンはその様を黙って見つめる。
二言三言話すうちに暗い顔に光が戻る。相手はハルか、と些か複雑な思いで見守っていると―――
「うん、・・・・・わかったよ。大丈夫、ちゃんと言っておくから」
綱吉がいきなりこちらを向いた。目が合う。そんなことないよ、と焦った口調で何やら弁解しているようだった。
すぐに通話を終えて机に携帯を戻した彼は、胡乱気な目つきでじっとりとねめつけてくる。
「・・・・・おい、ツナ?」
「リボーン。お前今、暇だよな」
「何が言いたい」
「ご指名。美味しいゼリー作って待ってるって」
ちぇ、と拗ねた口調でぶつくさ文句を言うドン・ボンゴレ。イラッときて反射的に数発撃ち込みつつ、問い返す。
「ちょ、いきなり撃つなよ!」
「だから何の話だ。簡潔に言え」
「ハルが会いたいってさ。お前が全然行かないから扱き使ってるんじゃないかって怒られたし」
「・・・・・・・・ハル、が」
「会いたくない訳じゃないだろ?その資料はいいからさっさと行けって」
「―――――――っ、」
あぶないよ。そう言った彼の顔が、脳裏に焼きついて離れない。
きっとそこに、答えがあるような気がしていた。