戦場には、こんな綺麗な服は似合わない。
武器さえ―――足りない。
青に、溶ける
了平がこの部屋を出て行って。少し痛む右腕を抱えつつ、ハルは次なる訪問者を迎え入れた。
丁寧にお茶を淹れて・・・それでも、時間が惜しくてすぐさま本題に入る。今日はまだあと一人、会う予定があった。
「え?・・・服が、欲しい、の?ハル」
「お願いです、クロームちゃん!やっぱりその方が格好いいと思いませんか?!」
世界が偽りだと知ったあの日から、鏡を見るたび思っていたこと。
沢山の綺麗な服。女性が憧れる、高くてお洒落なもの。・・・今の自分が身につけるようなものではない。
(そんなの全部、・・・・向こうに置いてきたんです)
ここに訪れる人間は誰しもそれを纏っていたというのに。自分自身だけ浮いていることに、ずっと気付けなかった。
―――死を暗示するあの色を、この場所に置くことを彼は許さなかったから。
「良く・・・分からないけど、いつも似合ってた」
「ありがとうございます!やっぱり雰囲気って大事だと思うんですよね!」
だから―――と続けた己の言葉に、クロームは大きく目を見開いた。
彼女に頼んだのは、“ツナには秘密で”今まで着ていただろう黒いスーツを手に入れること。
漆黒のそれは、今からやろうとしていることに相応しい。戦場にはお似合いの衣装だった。
ボスに心酔している彼女に頼むことではないと分かっている。それでも、どうしても欲しかった。
「もし部屋に入れないなら、既製品でいいんです。お願いします、クロームちゃんにしか頼めないんです!」
「・・・・ハル・・・・」
困惑したように瞳を揺らす親友に、必死で頼み込む。女物のスーツを持ち歩いても違和感がないのは彼女だけ。
・・・・やがて胸の前で硬く握り締めた手に、そっと暖かなものが添えられて。
誘われるように顔を上げたその先に、力強くゆっくりと頷くクロームの姿が見えた―――
内通者、戦闘服、そして―――何より大事な、己の覚悟。
それ全てを揃えてもまだ足りない。全然足りない。・・・・・まだ。
雲のように気まぐれな彼はいつ来てくれるのか分からない。
少し前に訪れたばかりだから、リボーンに頼まなければ今日会えはしなかっただろう。
「――雲雀さん!本当に来てくれたんですか!」
「・・・・ふぅ。呼びつけた張本人がなに言ってるのさ」
「はひ、それでも気が向かなきゃ来てくれませんよね」
「・・・・・・・・・・・・・・」
しかもここへ来ること自体、“彼”に秘密にして欲しいというお願い付きだ。
面倒臭がりな雲雀がわざわざ足を運んでくれたこと。きっとリボーンの力が大きいに違いない。
これが山本や獄寺なら、こうはいかなかったと思う。それ以前に味方になってくれたかどうか。
「それで、何?今結構忙しいんだけど」
「すすすみません!あの、この部屋の入室パスワードを教えて欲しいんです!」
そう言った瞬間、部屋の空気がびしりと固まった。・・・ような気がした。
雲雀相手では焦らせば焦らすほど怒らせるだけだと長年の付き合いで知っている。だから単刀直入に告げたのだ。
しかしそれがかえって話を拗らせてしまったような―――と、思わないでもないけれど。
(そんなの、構ってる暇はないんです・・・・!)
「―――――――、は?」
「ですから、この部屋電子ロックが掛かってるじゃないですか。そのパスワードですよ」
「・・・・ちょっと待ちなよ。どういう、」
「雲雀さん、知ってますよね。教えてください」
了平の時のように、笑顔で脅すことはしなかった。ただただ真顔で、驚く青年を真っ直ぐに見据えた。
・・・・数分が過ぎて。
その頃になって漸く、彼は事態を飲み込んだらしい。いつもの無表情にふと戻る。
そして鋭い眼光が強く―――強く全身を貫き返した時も、ハルは絶対に目を逸らさなかった。
「知って、ますよね。教えてもらえませんか」
「・・・・・・・教えて、それで僕に何のメリットが?」
「普段の日常に戻る―――だけじゃ、駄目ですか?」
「君にそれが出来るとでも?」
“普段の日常”とは、何を指すのか。あの事件が起こる前に戻る、というのとは少し違う。
だってそれなら、次も同じことが起こるから。また、こんなことを繰り返してしまうから。
そうならないように、とにかくあの人を説得する。その結果がどうあったとしても――――
「少なくとも、この部屋を壊すことなら・・・・出来ます」
この部屋がなくなれば、毎日彼がここに足を運ぶことはない。中に居る人間の姿に、心を痛めることはない。
傷ついたハルの為だけに作られたもの。それを二度と作らせないようにするには、たったひとつ。
説得できないなら、取るべき道は・・・・・たったひとつ、だけ。
「雲雀さ、」
「――――――――」
そうして心底呆れたようにため息を吐いた彼の、答えは。