逃げることしか頭になくて。

 

その先を、考えていなかった。

 

 

 

 

 

煙が晴れた一瞬を見逃さず、銃に残っていた全ての弾を彼らに向かって撃ち尽くした。

手応えはあったように思う。弾は絶対何かに当たったのだ―――あるいは、人間に。

 

しかし予備の弾はない。護身用にいくつか持たされた武器は残っているが、それらはあくまでも護身用でしかなかった。

 

 

 

(に・・・・・・逃げなくちゃ、はやく、はやく、はやく!)

 

 

 

敵に背を向けるなんて、と誰かが見ていたら非難したかもしれない。でも一刻も早く此処から離れたかった。

ハルは只のガラクタになった銃を胸に抱え、動く気配の無い男達の生死も確認せず。

 

 

―――待ち望んだ光を求めて、扉から外へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからどれだけ走っただろう。否、自分では走ったつもりになっていただけかもしれない。

 

 

目の前に、海があった。

夕日を受けて赤く染まった海が、ひとり立ち尽くすハルの前に悠然と広がっていた。

 

重い体を引き摺って、進んでも進んでも変わらない景色に耐えながら、ずっと逃げて逃げ続けて。

人気がないのをいいことに塀の中も突っ切って。そして漸く開けた場所に出たと思ったら、・・・・・海。

 

 

ハルは目の前の景色が一瞬信じられなくて、きょろきょろと辺りを見渡した。

 

 

 

(あれ・・・?此処って、もしかして・・・・)

 

 

 

その景色にふと見覚えがあるような気がしてハルはそっと目を眇めた。灰色の建物が並ぶ場所。

確かに、来たことがあるような気がする。でも、いつ?何の為に?

 

 

(・・・・昔、表の仕事で・・・・そう、山本さんと、見学に。・・・・私が主任になる前・・・・)

 

 

三人の男達に囲まれ傷付けられたあの恐ろしい場所。

 

あれを倉庫のようだと思ったのも道理、此処は沢山のイタリア企業が集まる工業地帯だった。

 

 

そして以前ハルは山本と数名の部下と共に来た。ボンゴレが、表向き一般企業として活動する為の根回しとして。

 

 

 

―――思考の止まった頭では、それを思い出すのにたっぷり数分はかかった。

 

 

 

(情報部主任、失格・・・ですよね)

 

 

情報を扱う部署のトップの癖に、怪我ひとつでこの様なのか。ハルは自分が情けなくてそっと溜息を吐く。

それでも興奮が収まらないのか傷はあまり痛まない。男の乱暴な手当てのお陰で、血も止まったようだし。

 

 

追っ手の気配は、なかった。

 

遠くに波の音が聞こえる。今日はどうしたのだろう、工場が沢山あるのに人の気配さえ感じられない。

ふと寒さを感じてハルは身を震わせた。思わずその場に座り込んでしまいたい衝動に駆られたが必死で堪える。

 

 

・・・・・気付かない内に、随分と遠くまで連れて来られてしまった。

 

 

此処からボンゴレへはどんなに急いでも徒歩では一時間以上も掛かってしまう。まして、この状態では尚更。

 

 

 

「帰ったら・・・・えっと、まずツナさんに報告して・・・・」

 

 

 

『笹川京子』を狙い、それを人質としてボスを呼び出しあわよくば殺害しようと企んだ連中。

その計画が曲がりなりにも失敗したとあればどう動くだろう。

 

このまま手を引くか―――それとも、今度は人数を増やして再び狙うか。

 

でもどちらにしろ、ボンゴレが赦す筈がない。その為にもやはり急いで帰ってこの情報を届けなくては。

 

 

だから、こんな所で休んでいる暇なんて、ない。

 

 

決意も新たにゆっくり頷いて、ハルは一歩前へ、強く足を踏み出した。

 

 

 

 

 

―――――当にその時だった。

 

 

 

「ひゃうっ!?」

 

 

 

ハルは腰に強い振動を感じて飛び上がった。なに?なに?なに?と超パニックになって慌てふためく。

規則的な振動は服の下から・・・・そう何のことはない、それは着信を知らせる携帯のバイブだった。

 

逃げることしか考えてなかったから完全に忘れていた。携帯で直接連絡するという方法があったのに。

 

何はともあれ出なくては、と軋む体を精一杯動かして腰にぶら下げたピンク色の携帯を取り出す。

 

 

そこでハルは、到底信じられないものを目撃した。

 

 

 

「・・・・・ひ、ひ・・・・雲雀さん!!?」

 

 

(な、ななななな何で雲雀さんなんでしょう。わわわわ、私あああの人に何かしましたか!?)

 

 

液晶画面には『ヒバリさん☆』の文字が躍っている。情報部の仕事でこちらから掛けることはあっても逆は滅多にない。

恐ろしく嫌な予感がして一瞬指が止まった。それでも出なければ絶対後で嫌味を言われ続けるだろう。

 

 

(だ、大丈夫ですあの雲雀さんも人の子ですっ誕生日が子供の日の可愛いひとですっ!)

 

 

何度も自分にそう言い聞かせる。大丈夫だから、と。襲われた事もあり少し気弱になっていたのかもしれない。

手の中には早く出ろと言わんばかりに振動し続ける携帯。彼の不機嫌そうな顔が目に浮かぶようだ。

 

身に覚えがないけれど、怒られるかもしれないのは嫌だった。しかし心を決めるしかない。

 

 

命のやり取りをしてきたばかりの今は、何も怖いことなんてないような気がしていたから。

 

 

 

「はい、ハルです」

『・・・・・・・・・・・・・・』

「・・・・?・・・・雲雀さん?」

『・・・・・・・・・・・・・・』

「・・・・・・えと。あの」

 

 

 

何度か呼びかけても沈黙を返してくる携帯。しかし壊れているわけではないらしい。

 

(何なんですか、一体!?無言電話なんて今時流行らないですよ!)