それは、初めて見る笑顔だった。

十年以上も共にいながら、彼女が一度も見せることのなかった表情。

 

明るくて、綺麗で、・・・・どこか悲しい。

 

 

 

 

 

 

胸が痛い。もやもやする。

このまま車を走らせていいのだろうか。と、そんな思考がふと頭をよぎる。

 

 

ボンゴレ本部へ帰る途中の車内は、酷く重たい空気に満ちていた。

その主な原因である獄寺は何故かむっつりと黙り込んだままハンドルを握っている。

 

 

(珍しい・・・よね)

 

 

綱吉は運転席に座る青年をちらりと見やった。真剣な色味を帯びた端正な横顔はただ前を向いている。

 

彼は感情の起伏が激しい方だが、その理由は結構はっきりしていることが多い。

落ち込んでいたとしても、人前でいつまでもそれを引きずるような真似はしないはずなのに。

 

まして今日はあの雲雀恭弥が一緒なのである。

 

普段ならすぐ『鬱陶しい』などと言ってトンファーが飛んできそうな状況だが―――今は違った。

 

 

 

 

 

あれから用意が出来たと連絡を寄越した彼は酷く顔色が悪く、綱吉達を戸惑わせた。

声を掛けても謝るばかりで、とにかく話は帰ってからと決まったのはほんの少し前のこと。

 

・・・いや、そもそもほぼ全員の様子がおかしかったように思う。変わらないのは骸だけか。

 

日々極限しか頭にない了平すら、なにかしら深く考え込む様子を見せていた。

 

 

何かを隠されている。きっととても大事なことを。それは分かる。でも、何を?

 

 

 

―――――その疑問は、数秒と経たずに答えを得ることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「、のわッ?!」

「ちょ、」

「――――・・・っ、!」

 

 

 

突然のことだった。

何の前触れもなく、車が急停止した。

 

甲高い耳障りな音と共に、全身を襲う衝撃。思わず舌を噛みそうになって綱吉は顔を顰める。

シートベルトのお陰で大事はなかったが、前につんのめってしまって少し首を痛めたらしい。

 

あちこちから上がる声に皆が無事であることに安心したのも束の間、状況がさっぱり分からない。

いきなりの急ブレーキに心臓が縮み上がる思いだった。何事かと獄寺のほうを見やると、彼は。

 

 

―――彼、は。

 

 

あっけに取られたように。驚きの表情で。どこか痛みを堪えるような目で。

 

 

 

ただ、車のライトが届かないその先をじっと見つめていた。

 

 

 

「・・・・・獄寺、くん?」

 

「――――― ハ ル 」

 

「え?」

 

 

 

聞こえない。(ふりは、もうできない)

見えない。(ふりは、もうできない)

 

 

獄寺の声なき声が頭の中で形になった瞬間、綱吉は車から飛び出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚悟を決めろと誰かが叫んでいた。五月蝿いくらいに。いつだって、答えは自分の中にあった。

それでもまだ否定の言葉が喉元にせり上がってくる。嘘だ、ありえない、だって彼女は今、『あの部屋』に。

 

 

(・・・・・・・・っ、なんで・・・)

 

 

夜の闇に溶けていきそうな黒い服。露出した肌の白さが、この暗さでもはっきりと分かった。

飾り気のない髪。少しきつめの化粧。あの忌まわしい日が来るまでの姿で。

 

彼女はただ、立っていた。道のど真ん中で、空を見上げて、立っていた。

 

何も臆することはなく、しっかりと自分の足で体を支え、そこに居るのが当然であるかのように。

 

 

 

「    」

 

 

 

名を、呼ぼうとして。喉が掠れて声が出ないことに気付いた。弱い呼吸の音だけが響く。

しかし距離があるはずなのに、彼女はふっとこちらに向き直った。

 

そして・・・・そのきょとん、とした表情が見る間に明るい笑顔になっていく。

 

 

 

「――――ツナさん!」

 

 

 

自分をはっきりとした理由もなく監禁した男に向かって、ハルは何の躊躇いもなく名前を呼ぶ。

綱吉はそれに応える術を持たない。ただ呆然と、こちらに駆け寄ってくる彼女を迎えるだけ。

喉がひりつく。何かを言いたいのに声が出ない。何を言うべきなのかさえも分からない。

 

 

そんな綱吉の様子を分かっているのかいないのか。彼女は、笑顔のままだった。

 

 

 

「・・・・・・ハ、ル」

「はい!ツナさん!」

「・・・ハル・・・・・・?」

「はひ?・・・えっと、ちゃんと本物ですよ?」

 

 

 

まるで何事もなかったかのように笑うハル。明るくて、綺麗で、楽しそうなそれ。

 

それでもあの部屋にいたときとは確実に何かが違っていた。今まで見たこともないような、その笑顔。

 

 

 

「ツナさん、」

 

 

 

だからそれに気を取られていた。だから、何も気付けなかった。