全ての想いを、込めて。
その一歩を――――踏み出した。
青に、溶ける
ぱちん、と乾いた音が暗い夜道に響く。
叩かれた頬を反射的に手で押さえて綱吉は唖然とハルを見やった。音とは裏腹に全然痛くない。
彼女の小さな手には然程の力も入っておらず、そのまま更ににっこりと微笑まれる。
「は、」
また、その笑顔に不明瞭な感情が生まれる。嬉しいのか泣きたいのか、怒りたいのか。分からない。
訳が分からないまま見つめあう。・・・・と、彼女が一歩、自然な動作でこちらに近づいてきて。
(・・・あ、・・・ハル、だ・・・・)
ふんわりと香る匂い。
これが現実だと告げるそれに思わず意識を奪われた、まさにその瞬間、
――――綱吉は腹部に凄まじく強烈な衝撃を受けた。
正確に言えば、鳩尾ど真ん中ストライク。・・・急所だった。
声もなく地面に崩れ落ちたボスの姿に、リボーンは思わず持っていた銃を落としそうになった。
車を飛び出した綱吉を追って一人残らず外に出ていたから、皆一部始終を目撃している。
全員、言葉はなかった。雲雀も骸も珍しく呆然とその光景を見つめている。
ハルが出てきたこと自体に驚きはない。獄寺の様子からも何となく予想はしていた。
しかし―――しかし、だ。
突然平手打ちをかました挙句、よりによって鳩尾を右ストレートで殴るとは・・・・。
完全に無防備だったらしい綱吉は防御する暇もなく、無様にアスファルトに膝をついた。
仁王立ちでファイティングポーズを取るハルが恐ろしく見えるのは気のせいだろうか。
ふと。その静寂を、感極まったような声で切り裂く男がひとり。
「・・・・み、・・・見事だ!極限に見事だったぞ、三浦!!」
「ありがとうございます師匠っ!三浦ハル、やりました!」
「踏み込むタイミングも素晴らしい。最初の攻撃で意識を逸らすところも完璧だ!」
「はひ!修行の成果ですね!」
「うむ!!」
勝手に盛り上がる二人を尻目に、リボーンは深々とため息をつく。
師匠。自分はその言葉をあの部屋で聞いた。・・・・了平を連れてきて欲しいと他でもない彼女が言ったのだ。
(ツナを、殴るためにか・・・?)
あの時感じた嫌な予感はこれだったのかと納得する。まあ、いい気味だと思わないでもない。
それほどまでにその右ストレートは綺麗に決まったのだ。いっそ清清しいほどに。
「ふぅん・・・やるね、ハル」
「確かに見事でしたね。一撃で落ちるボンゴレもどうかとは思いますが」
「や、それは言わないでやれって。な?」
「あ、あのアホ女・・・十代目になんつーことを・・・!」
それぞれが思い思いに喋る中、誰も綱吉に駆け寄ろうとはしなかった。いや、出来なかった。
右手をぐっと握り締めて晴れやかに笑う彼女の額に、はっきりと―――青筋が浮いていたからである。
「ツナさん!明日は会議だそうですから、顔は止めておきました!」
「・・・・・・・・う、・・・」
「少しは感謝してくださいね!」
綱吉は腹を押さえて蹲ったまま、立ち上がろうとしない。ここまで来てもとことん往生際の悪い男だ。
それでもハルは、笑う。あの事件のことも、あの部屋のことも、全て無かったかのように。
ただ―――笑って、いる。
息がうまく吸えない。頬も、痛くないはずなのに、何故か酷く熱い。
避けようと思えばもしかしたら避けられたのかもしれない。でもそんな選択肢など初めから頭に無かった。
「痛い・・・ですか?ツナさん、あの」
「ハ、ル」
「でも、でも私は―――謝りません。殴ったこと、ほんの少しだって後悔してないですから」
「・・・・・俺は・・・」
謝る必要なんて、ない。むしろそうすべきなのは自分の方で。
後悔していないと言いながら、殴った彼女自身のほうが痛そうな表情を浮かべていた。
しかしその色は一瞬で掻き消え、また明るい笑顔が戻ったけれども。
(俺はハルに、笑っていて欲しいだけなんだ―――)
いつもいつまでも見ていたいと思った、その笑顔を求めていた・・・・はずなのに。
「ハル。なんで・・・ハル、なんであの部屋から、どうやって」
「―――ツナさん」
骸の術は。部屋の鍵は。その服は。この場所は。全ての疑問は、彼女の静かな声で溶けていく。
「少しだけでいいんです。私の話を、聞いてくれますか」