「ツっ君は、優しいね」
――――違う。
「・・・本当に、・・・優しいんだね」
――――――違うんだ。
青に、溶ける
どうして追いかけないの―――?
綱吉を始めこの場にいる全ての人間がぴたりと口を閉ざした。
何故。そう問おうにも、喉がひりついて言葉が出ない。何故、君がここにいるんだ。
誰もが呆然として見守っていると、ふと、周囲の景色がぐにゃりと歪んで―――弾ける。
十年でとうに慣れた感覚。・・・・“彼”と“彼女”が最も得意とする、それは。
(幻、術・・・・?)
頭に浮かんだひとつの答え。
それを感じ取ったかのような見事なタイミングで、新たにひとり、その姿を現した。
「クローム・・・・・・、京子、ちゃん・・・・?」
気配は一切感じられなかった。ハルの挙動に気を取られていたのかもしれないが、それでも。
きっとクロームが幻術を使い、周囲の目を誤魔化していたのだろう。
・・・・じゃあ、いつからここに?どこまで、聞いていた?そもそも、何故ここが・・・・?
「どうして、追いかけないの?」
惑う綱吉を更に追い詰めるように、繰り返される言葉。
その音は、僅かに責めるような色味を帯びている。怒りでもなく、悲しみでもなく。
京子の、珍しく感情の見えないそれは、それゆえに強く深く心に突き刺さった。
これ以上目を合わせたくなくて、傍に寄り添うように立っているクロームに視線を移す。
しかし彼女もいつもの無表情でありながら、やはりどこか違う。
常になく真っ直ぐ見据えてくる瞳には―――揺るぎ無い意志が宿っていた。
「俺、は・・・」
気付かせないでくれと誰かが叫ぶ。これはハルにとって一番いい結果なんだから、と。
皆は勘違いしているかもしれないが、彼女をイタリアに連れてきたのは、そもそも綱吉の我儘だった。
マフィアの世界が危険であることは分かっていた。そしてハルには何の力もないことも。
銃が何の保証にもならないことは、それを渡した己自身が最もよく知っていたのだ。
・・・・・・・言わなかった、だけで。
「もう、いいんだ。これで、いいんだよ。これが一番、だったんだ」
十年前。
『一緒に連れて行ってください!』と涙ながらに叫んだハルの姿が今も昨日のように思い出せる。
あんなに嫌だったボンゴレ十代目に就任することを決めて。周囲の環境が目まぐるしく変わって。
手続きの為に仲間と共にイタリアへ渡り―――早速命を狙われたりも、した。
疲れていたんだと、思う。そう、とても疲れていた。リボーンに最後だからと言われて日本に帰って、そして。
―――あの太陽のような笑顔に、迎えられた。
お帰りなさい、と何も聞かずに笑ってくれた彼女の姿に、どれだけ安堵を覚えただろう。
どれだけ、全てを曝け出して泣いてしまいたくなっただろう。
もし、この笑顔がいつも傍にあってくれたら―――なんて。そんな、望みを、抱いてしまった。
「普通の世界に戻って、幸せになってくれたら・・・・それで」
だから、喜んだのだ。驚きもしたけど、何より綱吉は嬉しかった。
ハルが自分から共に行きたいと、言い出してくれたときは。
「もうこんな辛い世界に、いる必要はないんだ―――」
十年間、今まで日本に帰れるチャンスはいくらでもあった。でも己の我儘で引き止めてしまった。
その結果がこれだ。ハルは傷を負い、・・・・人を殺した。それが正当防衛だったとしても。
多分次はもっと酷くなる。死んでしまうか、もしくは更に罪を重ねることしか出来ない。
そうならない為には、ここから出て行くのが一番いい選択・・・・・・・
「・・・ツっ君は、優しいね」
「え?」
暗い思考を切り裂くような、硬い声が響く。
言葉の内容とは裏腹に、京子はどこか苦味の混じった笑みを浮かべている。
「本当に、・・・・優しいんだね」
「・・・京子、ちゃん?」
「でも卑怯だよ」
びくりと、己の肩が震えるのが分かった。
ほんの少し前に、同じようなことを叫んだ“彼女”の声が蘇る。
「そうやって手放せるくらいなら、どうして閉じ込めたりしたの?」
「・・・・・っ、」
「簡単にさよならできないから、あの部屋を作ったんじゃなかったの?そんなに簡単に手放せるなら、どうして!
―――そんな中途半端な気持ちだったなら、黙って見てたりしなかった!!」
はっきりとした怒りを感じる、悲痛な叫び声。涙さえ滲んでいる。
何も、・・・何も言えなかった。京子の言葉、その全てが、図星なのだと知っていた。
「ツっ君、卑怯だよ。・・・本当は自分が傷つきたくないだけなんでしょう?」