これが、最後の最後だから。
彼に残された、本当に最後のチャンスだから。
青に、溶ける
心の底から、力一杯叫んだ言葉。彼女のそれには遠く及ばないかもしれないけれど。
ほんの少し―――しかし確実に揺らいだ青年を認めて、京子は勢いそのままに畳みかけていく。
「ねえ、ツッ君。いいの?もう終わっちゃうんだよ。今日が最後なんだよ!二度と会えなくなるんだよ!?」
「………………!」
「ハルちゃんの十年を、本当に無駄にするつもりなの!?」
「…っ…、……それ、でも!ハルが日本に帰れるなら、俺は!!」
日本へ、そう、家族の待つあの故郷へ帰って。平和な世界で幸せになってくれたら―――
(ああ、この人はどこまでも優しくて――――悲しいひと)
迷いの中に垣間見えるはっとするほどの真摯な光。それを見て京子は悟った。
綱吉は心の奥底では自分の気持ちに気付いている。それなのに気付かないふりをしている、と。
何の為に?……彼女の安全の為に、だ。
「そりゃ都合のいい話だって俺でも分かってる。だからって、これ以上は……っ」
「……ツッ君。さっきの私の話、聞いてくれてた?」
「、え?」
「言ったよね?ハルちゃんは全部覚悟してここに来てるんだ、って」
――――それが的外れだと知ったなら、彼は動くだろうか。
「私が捨てられなかったもの、全部捨ててここに来たんだ、って。この意味、分かるかな」
「………?」
「ハルちゃんはね、日本には帰らないよ」
唯一残された道。……この事実に、全てを賭ける。
一体何を言われたのか、瞬時には理解できなかった。綱吉は暫く瞬きをしつつ黙り込む。
最も触れられたくない場所にピンポイントで攻撃され続けて、反応が遅れたのかもしれない。
(……帰らない?…日本へ?……誰、が?)
綱吉の思考が纏まるその前に、後ろのほうから声があがる。
「おい、京子。そいつはどういうことだ?」
「…………」
「何を知ってる!」
三浦ハルは日本へ帰らない―――京子の言葉に真っ先に反応したのは、リボーンだった。
目の前に立ち、揺るがない視線をこちらに据える彼女は、ほんの少し息を吐いて重い口を開いた。
「正確に言えば、“帰らない”んじゃなくて、“帰れない”みたい」
「なに……?」
「イタリアに来る前に教えてくれたの。……ハルちゃんにはもう、日本の戸籍、ないって」
「おい待て、それは」
「日本ではもう、死んだことになってるんだって――――」
全員が一様に息を飲むのが分かった。戸籍がない。正確には、記録上死亡となっているという。
寝耳に水な情報に、リボーンさえもそれ以上言葉を続けられないようだった。綱吉自身も動けない。
しかしそれを気にした様子もなく、京子はぽつぽつと零すように語り始めた。
「イタリアに来ることで、……マフィアに関わることで、家族に迷惑を掛けたくないから。縁を切って、戸籍も改竄して。
確かディーノさんに頼んだんだと思うよ。イタリアでの新しい戸籍も作ってもらってたみたい」
それくらいの覚悟だったんだよ、と彼女は言う。帰る場所なんか必要ないって、自分を追い込んでいたと。
「本当に……真似出来ないくらい、……頑張ってたんだよ……!」
(知ってる。この十年間、ずっと見てたから分かってる)
そしてずっと甘えていた。辛いだろうに、顔には出さないでずっと笑ってくれていたから。
(ひとりでは泣いていたかもしれないのに)
「戸籍とか…そんな…こと、俺、全然知らなかった…」
「知る必要があった?」
「っ!」
後悔を噛み締めつつ漏らした言葉に、鋭い視線が向けられる。逃がさないとでもいうように。
「それは、ハルちゃんの問題だよ。ツッ君が口出しできることじゃないはずでしょう?」
綱吉はその時初めて、京子の顔を真正面から迎えた。多分、そう、初恋だったひと。
「今回のだって同じだよ。人を…傷つけて殺したその罪の重さに耐えるのもハルちゃん自身であって、ツッ君じゃない。
あの部屋自体は、悪いとは言えないよ。でも!記憶を奪ったのはツッ君のただの自己満足だよ!」
少しずつ、頭が冴えていく。そして、気付く。……否、認める。
己が何をしたのか。何を、しでかしてしまったのか。彼女の覚悟、その全てを残酷にも踏みにじった。
十年見ていた?本当に『三浦ハル』を見ていたのか?―――理想を押し付けていたのではなく?
(でも今更だ。遅すぎる。だって彼女を行かせてしまった)
その真意に気付こうとすらせずに。
「………………そう、だね。その通り、だね。ごめん」
「私に謝っても、意味、ないよ」
「うん。でも俺には―――もう、謝る資格も、ないんだ」
ハルの覚悟を甘く見ていたために、これ以上ないくらいに傷つけた。守りたいなどと傲慢もいいところだ。
もしまだ彼女の為に出来ることがあるとしたら、それは―――――
「…………ッ君の、」
目を伏せて愚かな自分を責めていた綱吉は、いきなりぐんっと前に引っ張られてたたらを踏む。
え、と思って顔をあげると、強烈な衝撃が左頬を襲った。
「ツッ君の、この分からず屋――――!!!!!」