せめて、朝が来るまでは。
青に、溶ける
先程から降り出した小雨の中、胸のすくような小気味のいい音が夜空に響いた。
しばしの沈黙の後、ぱちぱちと手を打ち鳴らす音が聞こえてくる。……クロームであった。
普段の無表情の中に、何故か誇らしげな色が見える気がする。拍手の音が余計、広がる沈黙を重くした。
一方、本日二度目のボスの醜態に唖然と見守るしかない仲間達。やはり言葉はない。
リボーンはその光景に思わず呆れ、脱力し、大きな溜息を吐いてしまう。
(な、……情けねぇ………)
つまりはネクタイを引っ張られ、抵抗する間もなく左頬に強烈な平手打ちを食らったのである。もちろん自業自得だが。
綱吉は未だに何が起こったか分からない様子で目を瞬かせている。余りにも情けなさ過ぎて涙が出そうだった。
……本当にコレが、かのイタリア随一を誇るボンゴレファミリーのボスの姿なのだろうか……
些か将来が心配になったものの、いい気味だと思う気持ちが強くて苦笑を浮かべるに留まる。
この展開は、悪くない。ハルの為にも、綱吉自身の為にもだ。
彼女がボンゴレから離れるなどと言い出した時はどうにもならないかと思ったが―――どうやら、そうでもないらしい。
「リ、リボーンさん!何笑ってんですかっ!」
「……さあな」
「京子ぉぉぉ!!見事だ!しかし何故グーで殴らんのだ!その方がより多いダメージを与えられ」
「お前も何訳分かんねーこと言ってやがんだ了平―――!」
流石の獄寺も、京子相手に罵るのは気が引けるのか。それとも、多少自業自得だと思っているのか。
そこでちらりと他の連中を見やると、…雲雀と骸は口元を覆って何やら珍妙な顔をしている。
山本に至っては道路に座り込んだまま動かない。まるで――そう、緊張の糸が切れたかのように。
(否、事実、切れたんだろうよ)
『ツッ君の、分からず屋』。それは、もしかしたら自分達がずっと言いたかったことなのかもしれない。
リボーン達は一名を除いてハルに説得された形でここにいる。説得と言えば聞こえはいいだろうが、本当は違う。
この明らかに異常な事態を、己では解決出来ないからと、彼女に押しつけたのだ。
綱吉が、ハルの為だからと道を誤ったように。……綱吉の為だからと、それを正そうとはしなかったにも関わらず。
引っ叩かれた頬を抑え、呆然と立ちすくむ綱吉。何をすべきか分かっているのに、優柔不断で動けない青年。
(しょーがねぇ。俺はお前の、家庭教師だからな)
「―――――おい、ツナ」
(教育的指導だ。覚悟しろよ?)
今日はよく殴られる日だ、と呑気なことを思った自分に内心苦笑する。
じんじんと熱い頬に冷たい雨が降り注ぐ。心は酷く凪いでいた。体は―――動かない。
殴った張本人の京子は、あの時のハルと同じように、彼女自身のほうが痛みを堪えるような顔をしていた。
ああまたやってしまった、と思う。こんなことをやらせてしまったのは、他ならない綱吉自身だ。
それでも今謝ったなら余計傷つけてしまうような気がして、黙るしかない。
綱吉の前で辛そうに俯いた彼女の肩にそっと、クロームが手をかける。…やはり、かける言葉を見つけられなかった。
と、その時。
「―――――おい、ツナ」
後ろからかけられた静かな声に、びくりと体を震わせて振り向く。
そこには不敵な笑みを浮かべた少年が、片手で銃を弄びつつ不遜な態度で立っていた。
「リ、リボーン?」
「はっ、情けねぇ面してんじゃねーよ。で、これからどうする気だ?」
「これから…って、何、ぅわっ!!」
サイレンサーの付いた銃で足元に撃ち込まれ悲鳴が口をつく。恐る恐る見上げると、にやりと目を細められた。
背筋に悪寒が走る。なんというか、随分久々に見る“家庭教師ヒットマン”がそこにいた。
「こ・れ・か・ら、だ。おい、その耳は節穴か?」
「いえ滅相もゴザイマセン……!」
「ふん。お前、ハルを日本に帰らせてどうする気だったんだ?」
「え、いや、それは」
「あれだろ。取り敢えず家に帰して、家族ごと引っ越させた上、ほとぼりが冷めるまで護衛付ける気だったな」
「………………」
職権乱用もいいところだぞ、などと言いたそうな目で図星をどんどんついてくる。口を挟む隙すらない。
確かに、情報部主任という立場上軽々しく一人にさせるわけにはいかなかったし、安全な場所を作るつもりだった。
一応日本支部もかなりの勢力を有しているから、何かあったとしても直ぐに対応できると思って―――
「だがそれもハルが日本に帰らない以上、不可能だ。で、だからどうするんだ?」
「ど、どどどうするって」
「あいつにとって安全な場所はもうどこにもない。まあ、またあの部屋に閉じ込めるっつーなら話は別だが」
「………っ!…………っ俺は、」
俺は。
その先の言葉が、続かない。喉元まで来ている気がするのに、息が詰まって出てこない。
俺は。……どう。するんだろう。どう、すれば、いいんだろう。
これ以上ハルを傷つけたくはなかった。でもどうすればいいのか分からない。また間違えるのが怖い。
俺は。そう繰り返すしかない綱吉に、リボーンの溜息が届く。
「ほんっっとにお前は、いつまでもダメツナだな」
「―――――――――」
「なあ、ツナ。―――お前は、どうしたいんだ?」
不遜な態度とは裏腹に。その声は、泣きたくなるほど優しかった。