逃げる女。

追う男。

 

さて、その結末は―――――

 

 

 

 

 

 

走り込んだ勢いそのままで、後ろ手に扉を閉め、ハルはその場にずるずると座り込む。

どくどくと波打つ鼓動、弾む息。やれるべきことはやったが、達成感などは欠片もない。

 

全てを失ってしまったという、その一念だけが己の心を支配していた。

 

 

 

「    ツナ、さん」

 

 

 

出来なかった。届かなかった。彼の心を変えるなんて、自分には到底無理なことだったのだ。

そこまで無力だったなんて、考えもしなかった。やれば出来ると愚かなまでに信じていた。

 

それでも、と思う。自分にそっと言い聞かせる。

 

結果は玉砕だったけれど。必死に叫んだ言葉は、何一つ意味をなさなかったけれど。

 

 

 

(・・・・でも、私は・・・幸せ、でした)

 

 

 

イタリアに来てからの日々を思い出す。思い出せることに少し安堵しながら。

 

 

 

 

 

どこから聞きつけたのか、あの箱庭で動けなくなっていたハルを迎えに来てくれた二人の親友。

車で送ると言ってくれた京子と、どうにかして骸の幻術を解こうとしてくれたクローム。

 

もし何も変えられなかった時のことを想定して、ボンゴレに関する重要な部分だけは術を残してくれるように頼んだ。

いつか誰かに捕まって、拷問されたとき。非合法な薬などを使われたときにも、抵抗できるように、と。

 

 

―――酷いことを頼んでしまった。自分のことだけに気をとられて、彼女がどんな想いをしていたか気付けなかった。

 

 

それでも文句ひとつ言わず、難しい幻術に挑戦してくれた。本当に・・・感謝してもしきれないと思う。

 

 

(ファミリーに迷惑はかけません。だから、この記憶だけは、持っていてもいいですよね?)

 

 

イタリアに来る前の平和な日々。イタリアに来てからの、刺激的で楽しい日々。

辛いことがなかったわけじゃない。悲しいことがなかったわけじゃない。もう辞めてしまいたいと何度も思った。

力のない自分が耐えてこられたのは、やっぱり仲間と、何よりも大好きな人が近くに居たから。

 

 

我儘を押し通して暮らしてきたその生活は――最後にしでかしたことを差し引いても――怖くなる位に、幸せだった。

 

 

雨に打たれてすっかり冷えてしまった身体を抱きしめる。後悔だけは、微塵もない。

 

 

 

―――――大丈夫。その幸福な記憶があるだけで、生きていける。

たとえ独りぼっちになってしまったとしても―――――

 

 

 

頭に浮かんだ誰かの姿を振り切って、誰もいない、暗い部屋の奥へとハルは一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

捜索を始めて三十分足らず。その時点で既に綱吉は次の手を考えなければならなかった。

あまり普段一人だけでうろつくのが許されていない以上、正直ハルよりも地理に疎いのは認めざるを得ない。

 

自身が知っている“隠れ家”をふたつほど訪ねてみたのだが、こちらに知られている場所を使うわけがないことを

再認識させられるだけに終わった。まだまだ甘い思考に舌打ちを零してしまう。

 

 

(でもあの状況で車を用意しているとは考えられないし、まだ遠くには行ってないはずだ)

 

 

そう分かっているのに、頭の中の知識が邪魔をする。

 

いつか、『皆には秘密ですよ?』と連れて行ってくれた場所。穏やかな時間をくれた場所。

簡素に見せかけつつ、抜け道完備のまるで秘密基地のように建てられた―――

 

 

(違う・・・!そこじゃない、もっと別の)

 

 

その血は飾りか、とリボーンは言った。女一人見つけることが出来ないのか、と。

綱吉はいつだってこの力に助けられてきた。自分が死にそうになった時も、仲間が倒れそうな時も。

 

 

(だったら今も・・・・っ俺の心を、助けてくれ!)

 

 

目の前に現れた十字路を迷わず右に行って、走る。その先に光が待っているかも分からない。

 

 

―――それでも、足を止めるわけにはいかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、僕達は一足先に戻りましょうか。明日の用意もあることですし」

 

 

 

凄まじい勢いで走っていく綱吉を見送った後、骸はかなりイイ笑顔を浮かべて沈黙を破った。

と同時に張り詰めていた空気が緩み、各々の口からどっと溜息がもれる。

 

 

 

「・・・・はー・・・俺、なんか気ぃ抜けたわ。酒飲みてー」

「お、それ乗った。付き合うぜ獄寺」

「あ!そうそう、ハルちゃんにと思ってロールキャベツ作ってたの。皆食べる?」

「うむ。京子、ついでに家から送ってきた日本酒を―――」

 

 

 

ひと段落着いて安心したのか、全く関係のない話を始める仲間達を幾分冷めた目で眺めつつ。

確かに脱力した身体を車に凭れさせて、雲雀は傍に立つ少年に声を掛けた。

 

 

 

「ハルを連れて帰って来るって、本気で思ってるの?」

「・・・そりゃ、どういう意味だ?」

「綱吉に何を言ったか知らないけど、あれでいて案外ハルって頑固だしね。例え居場所を見つけたとしても―――

 

―――迎えに行ったからって、そう簡単に戻ることを承諾するとは思えないけど」

 

「ま、そうだろうな」

 

 

 

一瞬たりとも間を置かず、当然のように肯定するリボーン。

それどころか、くつくつとさも可笑しそうに笑い出すものだから侮れない。

 

 

 

「あいつにとっちゃ、いい薬になるだろうよ」

「君、分かってて」

「流石に何のお咎めもなしにめでたしめでたしじゃ、俺がムカつくからな」

「・・・・・・・・・・・」

 

 

 

雲雀の胡乱気な眼差しにも揺るがない少年は、嫌な笑みを浮かべたまま後部座席に乗り込んだ。

 

わいわいと盛り上がる仲間達とは対称的に―――見上げた空は、まだ晴れない。