全部、終わったはずなのに。

 

 

 

 

 

 

足は止まらず走り続けた。二十分、……いや、もう少し。

脳で考えるよりも先に身体が動き、道を選んだ。迷いなどは欠片も浮かんでこなかった。

 

 

そして――――今。

 

 

綱吉はある路地裏の一角で、立ち止まる。目の前には何の変哲もない廃屋が並んでいた。

普段であるならば眉を顰めて素通りするような場所だ。ここに来るまでに何人ものやくざ者とすれ違った。

 

治安は最悪。…………だからこそ、隠せるものがあるのか。

 

 

 

「――――――」

 

 

 

間違いない。この身に流れるボンゴレの血が、そう告げている。

 

一秒でも早く―――そんな思いに囚われて、綱吉は一歩前に足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――っ!」

 

 

 

突然目が覚めた。と同時に、自分がいつの間にか眠りに落ちていたことに気付く。

光のない真っ暗な部屋でひとりソファから身を起こしたハルは、次第に状況を思い出して全身から力を抜いた。

 

一瞬、ほんの一瞬だけ、あの部屋に逆戻りしたかのような錯覚を覚えたのだ。

仲間たちに別れを告げ逃げ出してきたことすら忘れて。夢だったのかと思うくらいに。

 

これは、まだ未練があるということだろうか?全てが偽りで作られた箱庭の世界に?

 

 

 

―――多分、そうじゃない。

 

 

 

ただ十年も過ごしてきた日常を、そう簡単に過去にはできないというだけ。

思わず安堵にも自嘲にも似た笑みが零れた。あと何度、こんな夜を越えていけばいいのだろう。

 

 

(いつまでも、……捨てられないから、ですね)

 

 

眠っていてさえ手放せなかった小箱に視線を落とす。蘇る幸せな記憶と、切ない思い。

あんなに辛かったのに、終わってしまえば簡単なことだった。もう一度やれと言われたら無理かもしれないけど。

 

 

 

「……はひー。こんなの当分、いえもう、一生こりごり――――」

 

 

 

パチン、と微かな音が部屋に響いた。

 

 

 

「――っ?!」

 

 

 

思わず伸ばした手の先には拳銃。

その際落としたプレゼントのことは一瞬で頭から消え去り、ハルはそっと耳を澄ませ周囲を窺う。

 

 

(い、今のは……)

 

 

心臓が一気に跳ね上がった。あれは、外に張り巡らせてあるトラップの音ではなかったか?

無論トラップといっても相手を害する意図はない。それではここが怪しいと触れ回るようなものである。

向こうに悟られないよう、人が近づいた時に知らせる程度の単純な細工だ。

 

しかしトラップが作動したにしてはやけに小さな音だった。やっぱり聞き間違いなのかもしれない。

 

 

何時間寝ていたかは分からないが、追手がいるにしても、ここが分かる人間など――――

 

 

 

「………っ!」

 

 

 

今度は部屋の隅の機械が赤く光り、危険を知らせてきた。

廃屋に見える玄関に赤外線センサーを取り付けてあり、誰かが通ればわかるようにしてあるのだ。

 

 

(お、お、…落ち着かなきゃです…っ)

 

 

―――誰かがこの隠れ家に近付いている。それは間違いないようだった。

しかし、よく考えればこの辺りは浮浪者も少なくない。雨を凌ごうと立ち寄っただけとも取れる。

 

 

(ちゃんと鍵は閉めました…っ!あとは黙ってやり過ごせば、)

 

 

侵入者対策の一種で扉は開けられにくいように作った。普通の人間ならばお手上げのはずだ。

情報部主任の生存を聞きつけた誰かが襲いに来るとしても、数か月は先。それ位の手は打ってある。

 

 

けれど、万にひとつ。

けれど、億にひとつ。

 

 

情報部で生きていこうと思ったなら、ありとあらゆる可能性を疑わなければならなかった。

まして今や見つかれば死刑の逃亡犯である。慎重に慎重を重ねてこそ、道が出来るというもの。

 

 

 

(か、鞄を)

 

 

 

杞憂ならいい。しかしそうでなかった場合、姿を見られてからでは遅すぎる。

ハルは用意しておいた鞄を静かに手に取り、玄関とは反対側にある外へと繋がる扉の方へ向き直った。

 

もしここへ敵が踏み込んできたならすぐ逃げ出せるように。

 

ありえないと分かっていても、自身が『追われるもの』であることへの恐怖が拭えなかったから。

 

 

 

 

 

 

家具の陰に隠れ、どんな小さな音も聞き逃さないようじっと息を殺す。

センサーが一度反応した後は何の変化もない。廊下に設置してあるトラップも作動した気配はない。

 

何より足音が一切聞こえないのだ。やはり単なる雨宿りにきた浮浪者……?

 

 

 

一分。二分。

じわじわと焦りだけがつのる中、それ以上の変化はなくてハルは構えていた銃を下ろす。

 

三分。四分。そして五分が経過。

いい加減腕が疲れてきたので、一旦荷物を降ろそうとした、その瞬間。

 

 

 

 

ハルの目の前で――――――――“壁”が、吹き飛んだ。