期待しちゃいけない。
青に、溶ける
夢のような、言葉だった。あの日彼を好きになってから、ずっとずっと、夢見ていたこと。
もしそうなったらどんなに幸せだろうって。―――綿菓子みたいに甘ったるくて、儚い夢を見ていた。
いつか、いつかは。そう何度も繰り返して。情報部主任としての日々に忙殺されながら、何も見ない振りをして。
(いつまでも諦めきれなかった。でも、夢はもう終わったんだから)
その泡沫の夢にまた引きずり込もうとしている綱吉を、受け入れることはできなかった。
「やめ、やめて…ください、そんなの」
「―――ハル。聞いて、俺は本当に」
「いや!聞きたくないです……っ私は、私は!」
手足をばたつかせて何とか逃れようと足掻く。これ以上耳を傾けてはいけない。彼の言葉は、毒だ。
全てを投げ出して思わず縋りついてしまいたくなる。未だ残る彼への思いを見透かされたように感じた。
怒りとも悲しみとも分らない感情を持て余し、ハルはがむしゃらに叫ぶ。
「大丈夫だって言ったじゃないですか…!ちゃんと一人でも生きていけます、大丈夫なんです!」
「……、え?」
「だからそんな、…そんなこと、言わないで、ください…っ」
自分が彼に向けている感情と、彼から向けられるそれは違う。その言葉が持つ意味も全然違う。
「ツナさんっていつもそうです、凄く凄く優しくて、」 いっそ残酷なくらい。
「――――――」
「でも気にしないでください、だって、選べたんですから!私が選んだ結果なんです!だからどうか、」
マフィアのボスとは思えないほど、優しい。敵に対しては容赦しない強い心を持っているけれど、それは誰も同じこと。
一旦懐に入れた者には大空のような包容力で守ってくれる。そんな、素敵なひと。好きになった、ひと。
今だってそうだ。人を殺して怪我を負ったハルのことを気にして、気に病んで。心を痛めている。
――――もう、いい。充分だった。十年、夢を見れただけでも。これ以上甘えてはいけない。
「ツナさん、優しいから勘違いしてます。まったく、だめですよそんなこと!」
「………」
「明日には国外に行きますけど、大丈夫です。ツナさんってば本当に心配症ですね」
「………」
「ほら朝一で会議じゃないですか!こんな所で油売ってると、またリボーンちゃんに怒られちゃいますよ?」
一緒に怒られてあげることはもう出来ないんですから。そう言って何とか口の端を上げる。
夢のような言葉。夢のような状況。
贅沢で我儘かもしれないけど……それでも、同情からの言葉など聞きたくはなかった。
彼の優しさは分かっている。でも、偽りの気持ちならば、あの部屋で生きていくことと何が変わるというのだろう?
綱吉は俯いたまま何も言わない。でも気にならなかった。最後に一目、以前の彼に会えただけで、力を貰ったから。
「でも!…でも、あの。ここまで来てくれたこと、ちょっぴり嬉しかったです」
今度は無理なく笑顔が浮かんできた。ああまだ笑えるんだと。頭の隅で思う。
「私はずっと忘れませんから。だからツナさんはマフィアのお仕事、頑張ってくださ―――」
――なんだよ、それ。
え?と思ったその瞬間。
ばん、と大きな音がしたかと思うと突然視界が反転した。
浮遊感を覚えたその数秒後には体のあちこちに痛みが走り、ハルは思わず目を瞑る。
(な、…なに?なにが、)
怖い。目が開けられない。怖い。肌に触れる床が冷たい。……床?
「―――ハル」
はっきりと怒りが滲む声。幾分温度を下げた声音で、耳に直接吹き込まれる。
その吐息の熱さに驚いて思わず目を見開くと、―――目の前に綺麗な笑顔を浮かべた綱吉の姿があって。
「は、はひっ…?」
あまりにも近すぎる距離に声が掠れる。そしてなぜ彼の向こうに天井が見えるのだろう。
状況を理解できないでいると、何が気に障ったのかまた低い声で注意を促すように名を呼ばれた。
つられて彼に視線を戻せば満足したように笑みを深める。それに赤面する余裕もなく、ハルはただ硬直するしかない。
……出来ることなら今すぐ裸足で逃げ出したいような気分だった。
「流石に今のは傷ついた。でも、それだけのことを、したんだよな」
一世一代、そうは見えなくてもかなりの勇気を振り絞って告白したのだが、言下に否定された。
(『嘘です!』って断言されたし。疑問形ですらないって)
ショックを顔には出さないようにしたが、正直、かなり落ち込んだ。それだけ彼女の傷が深いということか。
もしかしたら喜んでくれるかもしれない、なんて甘いことを考えていた数分前の自分を刺してやりたい。
それでも、と思う。ハルは何度も綱吉に向けて力一杯声を上げ続けてくれたのだ。
今度は自分の番だった。何度でも、何度でも伝え続けよう―――――いつか彼女の心に届くまで。
「反省してる。ハル、本当にごめん」
「…っ、もういいって何度も…っあの、それよりあの、すす少し離れてくださ」
「え?やだよ」
「や、やだじゃなくてですね!」
体の下でもがくハルをさりげなく押さえ込んで、安心させるようににっこりと笑う。
逆効果かもしれないけれど構わなかった。責める気はないが、聞き逃すつもりはない。
「とにかく。誤解だけは解いておかないと。ね?」