心臓が、どくりと音を立てるのを感じた。

 

 

 

 

「―――――っ、?!」

 

 

 

限界まで目を見開いているのに、視界がぼやけて前が見えない。唇に何か暖かなものが触れている。

と、頭が認識すると同時に直ぐ離れていった温度。何をされたか分からないと言い張れる程、小娘ではない。

 

 

 

「な、な、……な、な―――」

 

 

 

キス、だ。キス、された。そう、他の誰でもない、この、沢田綱吉に―――!

 

頬に全身の血が集まるのが分かる。熱い。相当真っ赤になっているだろう顔は、暗闇の中でも多分隠せなかった。

好きな人に、という嬉しさよりも遥かに恥ずかしさの方が上回った。いや、もうそれ以前の問題である。

 

 

今自分はさよならの話をしていたはずで。…心にもないことだが、大嫌いだと突き放していたはずで。

 

 

 

「な、なに、するんです、か――?!…っ……」

 

 

 

心に湧いた喜びを隠すように、ハルは何とか右手を振り上げた。だがそれは、彼の頬に届く前に受け止められてしまう。

 

―――強い力だった。遠慮も何もない、痣になるのではないかと思うくらいの力で再び床に押し付けられる。

 

 

 

「……聞いて、ハル」

「っぁ…い、痛っ………」

「俺は、好きでもない子にこんなこと出来ないよ。……それとも、そんな風に思われてた?」

「――え―――」

 

 

 

肩口にそっと顔を伏せられ、首筋に感じる呼吸の熱さにハルはびくりと身体を竦ませた。

彼は何を言っているのだろう。酷く沈んだ声で。さっき一瞬見えた顔は、今にも泣きそうに思えた。

 

 

(…ツナ、さん……?)

 

 

 

「違い…ますよ、ツナさんはそんな人じゃ、」

「なあ、ハル。だったら―――俺の、最後の我儘、聞いて」

 

 

 

他には何もいらないから。

 

切なく苦しそうに紡ぎ出された声が、頭の中で反響する。

 

 

 

 

 

 

 

 

ハルは、全ては自分の我儘だったから、と言う。だが決してそうでないことは綱吉自身分かっていた。

確かに“どうしても一緒にイタリアに渡りたい”という願いは、彼女の我儘だったのだろう。

 

しかしそれを跳ね除けず受け入れ、危険に目を瞑って連れて来たのは綱吉の我儘だった。

彼女の為と言い聞かせながら実は、自分の為でしかなかった。その点でのみ考えるなら利害が一致したと言ってもいい。

 

 

――――ハルがそこにいて、ただ笑ってくれるだけで、一体どれほど救われた?

 

 

彼女はそれを知らない。そう言ったとしても、決して信じてはくれないだろうけど。

 

ならば今は、伝えたい唯一のことを、何度でも繰り返すだけ。それはまるで、祈りにも似ていた。

 

 

 

「好きだよ、ハル」

「好きだ」

「ハル」

「好きなんだ」

「好き。だから」

 

 

頼むから。

 

 

「――――傍に、いて」

 

 

(ボンゴレから出ていくとか、……言うな……!)

 

 

 

嫌いだなんて、そんな言葉は嘘でも聞きたくなかった。超直感などなくても嘘だと分かる。自惚れでなく。

そして、卑怯な手を使っていることも自覚していた。泣き落としで懇願するなんて、人生で初めてかもしれない。

 

ハルはうろたえた様子で何とか言葉を紡ごうとしている。でも、もうあんな悲しい嘘は二度と言わせない。

 

 

 

「で、でも、だって、……私の、我儘だったんですよ……?」

「うん、俺も我儘だから。欲しいものは手に入れるよ」

「…え?……ん、っ…!」

 

 

 

そっと、再び唇を重ねる。全ての想いを込めて。こんな風にずっと前から触れたかったのだと改めて思う。

その柔らかさにぐらりと頭の芯がぶれるような感覚を覚えた。とても甘い香りがする。

 

綱吉は思わず身を乗り出して、更に深く、奥へと、己の身体が叫ぶままにハルの唇を割り開いた。

 

 

 

「………ちょ、…あ…っツナ、さ……?!」

 

 

 

悲鳴にも似た抗議の声を直接封じ込める。慌てたような色が強いものの、はっきりとした拒絶はなくて内心安堵した。

 

ずるい―――と、また言われても仕方ないな、なんて考えが脳裏を掠めるが、正直、もう止められない。

 

 

(リボーンには…朝帰りしたら殺す、って……言われた、けど)

 

 

腕の中に大人しく納まっているハルの身体が時折びくっと震えるのが、何とも言えず愛おしい。

甘くて甘くて、まるで麻薬のように囚われている。溺れそうな自分を叱咤しつつ、幾度か角度を変えて貪った。

 

 

(もう少し。もう少しだけ―――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一体どれだけの時間、そうしていたのか。綱吉はふと異変に気付いて漸く唇を離した。ハルの様子がおかしい。

 

すると濡れた唇がめちゃくちゃ色っぽい、なんて惚気たことを考える頭の中お花畑な十代目ボスの傍で。

彼女はくたりと床に身を投げ出し、微かに眉を寄せて、ゆっくりと蕩けた瞳を閉じていった。

 

 

――――弱弱しく「……はひ、」とただ一言だけを残して。

 

 

 

「まさか、キスだけで気絶されるとは思わなかったなあ………」

 

 

 

その場に落とされたそんな呟きを、知ることもなく。