―――本当に、戻れるの?
青に、溶ける
誰かに頭を撫でられている―――ふと、そんなことを思った。優しい手。決して意識の覚醒を促す動きではない。
その時漸く、自分は今眠っているのだと自覚した。柔らかなベッドの感触に思わず唇が綻ぶ。
何だか最近嫌な夢ばかりを見ていた。だからこの穏やかなまどろみを手放したくなくて、ハル僅かに身動ぎをする。
(…暖かい……)
ぼんやりとした意識の中でごくごく控え目な笑い声が耳に届くも、不快な気分にはならなかった。
「―――何やってんだ、ツナ。そのだらしない顔をしまえ」
「リボーン、煩い。ハルが起きるのを待ってるんだよ…って、あれ、雲雀さんも?」
「…………………」
「ちょっ、何ですかそのコメントすらしたくないって顔は」
「分かってるなら、口を閉ざした方が賢明だろうね」
声が、する。懐かしいような、そうでないような、不思議な響き。
少し鼻の奥がツンとして、閉じた瞼の裏に雫が溜まるのが分かった。帰ってきた―――ハルは漠然とそう思う。
「で?もう少しで会議の準備に入らないと、間に合わないんだけど」
「わざわざ様子を見に来たらこれだからな。おい、雲雀。一度シメるか」
「……シメて効果があるならしてもいいけどね。コレが反省すると思う?」
「うーん…。会議すっぽかす訳にはいかないからこうして帰ってきたんだもんな…」
「……ちっ、無駄な足掻きか」
優しい手つきに誘われ覚醒と夢の狭間で漂う意識。起きなければと思うのに、ずっとこのままでいたい気もしている。
ここはどこだろう。上質なベッドに、上質な枕。自分の知っている処にこんな場所があっただろうか?
その思考を遮るように、ふと、ずっと髪を撫でていた手が止まる気配がした。そしてすいっと離れていってしまう。
―――もう少ししていて欲しかったのに。脱力した体はすぐには動かず、引き止めることが出来ない。
「かといって先延ばしにしたら、気になって会議どころじゃないし」
「はっ、逃げられるの間違いじゃねぇのか」
「え?だからそんなことないって」
「………………………」
「雲雀さん。お願いだから無言でどん引きした顔するの止めてもらえませんか」
「それ、そうされる自覚はあるってことだよね」
「…………。二人共あの時のハルを見てないから、そんな風に言えるんだって……」
「……誰も君の惚気なんか聞いてないから。咬み殺すよ」
ぞくりと、体が震えるのが分かった。十年一緒にいても、殺気というものにはいつまでも慣れない。
思わず眉を顰めて僅かに掠れた声を上げてしまうと、ぴたりと会話が止まった。
その数秒後、再び誰かの手が髪に触れた。―――いや、そこからさらに頬の方へと………
「ああ、…そうか。うん、そうすればいいんだ」
「………ツナ?」
「なあハル。もう朝だよ、起きて―――ハル?」
何度も何度も名を呼ばれた。“彼”が呼んでいる――――起きなければ。早く。でも。
ぐるぐると同じ所を巡る思考と、触れられた場所の熱さが、重い瞼を押し下げている。
「―――ハル」
ずっとこのまま、眠っていたい。幸せな夢の中で、永遠にまどろんでいたい。
「早く起きないと、キスするよ?」
(――――――っ、!?)
一瞬で意識が現実に引き戻された。
反射的に目を開いて、がばりと起き上がる。今、今、…今、何か信じられないことを聞いたような。
「あ、おはようハル。目が覚めた?」
「……………は、ひ。…ツ、ナ…さん?」
ぱちぱちと目を瞬かせた先に、綱吉が穏やかな笑みを浮かべて座っていた。
見ているこちらが恥ずかしくなるほどの優しい表情に、かあっと顔が熱くなるのが分かる。
ハルは自分の反応を悟られなくて、ばっと俯いた。体に掛けられていたシーツを握りしめながら慌てて思考を巡らす。
―――違う。この部屋はあの箱庭ではない。そして、ハル自身が所有している隠れ家のどれでもない。
―――違う。この人はあの別れの日見た彼ではない。そして、壁を壊して入ってきた時の彼でもない。
(さ、さっき……起きないと、キスするって………)
寝ぼけていた頭に、心臓が止まるかと思ったほどの衝撃を与えた、その言葉。幻聴ではなさそうだった。
(…キスって、キスって…あああもう、思い出しちゃうじゃないですかっ!)
暗い暗い部屋で、互いの呼吸だけを感じて。普段の彼からは想像もつかないほど強い力で、押さえ込まれた。
「………ハル?もしかして、どこか具合でも…」
「……………っ………」
案外柔らかい、なんて思ったのは一瞬で。それはすぐに灼熱のような衝動に取って代わられた。
後は何が何だか分からないうちに、頭が真っ白になって――――気がついたらここで寝ていたのだ。
ファーストキスはレモンの味、などと夢見る乙女だった頃はとうに過ぎ去っている。けれど。でも。
握ったシーツを離し、綱吉からは見えないようこっそり手を伸ばして、指先に触れたものを掴む。そして―――
「………さんの、」
「え?」
「ツナさんの、………っえろえろ魔人―――!!」
腹の底からそう叫びながら――――力一杯、投げ付けた。