(ああ―――)
好き、という言葉さえ。
俺はまた、先を越されてしまったのだ、と。
青に、溶ける
大粒の涙を流して、彼女は叫んだ。こちらを気遣う言葉ではない、嘘偽りのない彼女の心を。
……この言葉が聞きたかった。と、そんなことを思う。硬い鎧に覆われたその先、その奥が欲しかった。
苦しかった、悲しかったと綱吉自身を責めて欲しかった。―――ずっと、頼って、欲しかった。
「ろ、…狼藉……」
後ろで耐えきれなくなったように言葉を零す雲雀の声を聞きながら、どうしようもなく口元が緩むのが分かる。
顔を真っ赤にして睨んでくるハルにまた直ぐにでも唇を重ねてしまいたい衝動を抑えながら、綱吉は一歩、前へ進んだ。
それに注意を払う様子もなく―――彼女は自分でも止められないのかもしれない。どんどん気持ちを吐き出していく。
「卑怯です!っ惚れた弱みにつけ込むつもりですか!」
「……………」
「そりゃあれですよ、そのあの、ちょっと嬉しいとか思っちゃったり―――はっ、いえ違います!ああいうことはまず
事前に相手の了承を取ってからですね、第一あれで全部チャラにしようとかなんてゆゆ許しませんからっ」
「なあ、ハル」
「っ、何ですかツナさん!今更謝ってもらっても取り返しは―――」
「それって、返事だと思っていいのか?」
「………はひ?」
ぱちくりと目を瞬かせてハルは黙った。言われたことが理解できない、というように首を傾げている。
だがさっきから向けられる言葉を聞いている限り、そうとしか思えなかった。その態度ひとつ取っても。
『―――私がツナさんを好きだってこと、知っての狼藉ですよね?!』
『っ惚れた弱みにつけ込むつもりですか!』
ハルの目が覚めたら、何よりもまず最初に言おうと思っていたことがある――――
「…へ、返事って…」
「あれ、もしかして覚えてない?気絶しちゃったから記憶飛ん…」
「……ぃっ……ああああああの!ツナさん会議があるんですよね、そのお話は後にしませんかっ」
「え、無理。返事を貰わないと会議どころじゃないって、俺何か失態晒すかも」
「………綱吉。脅してどうするの」
「最低路線まっしぐらだな。情けねぇやつ……」
忘れてるならもう一回繰り返そうか、と冗談半分本気半分で言おうとしたのを悟られてしまったのか。
すっかりハルは警戒を強め、逃げの姿勢を取り始めた。外野の声はあえて聞こえないふりをする。
なんにしろ、今このチャンスを手放すわけにはいかなかった。無闇に時間を置いて――更に頑なになられても困るから。
さっきの言葉を言質として取り上げることも出来たけれど、それでは彼女に逃げ道を与えてしまうことになるだろう。
(卑怯なのは、分かってる。でも、これだけはちゃんとしておきたい)
もう一度最初から始めようと思っていた。ちゃんと向き合って、…触れたりしないで。触れて、誤魔化さぬように。
ハルの様子を見れば自ずと理解できたし、何よりこの身に流れる血が教えてくれたけれど。
―――彼女が“今”でも綱吉を好きでいてくれているということに、酷く安堵したのは事実だった。
「俺は、ハルが好きだよ。だから一生、傍にいて欲しいと思ってる」
「…………っ……」
「でもそれは俺の我儘だし、明らかにハルを今以上の危険に晒すことになるよな」
「ツナ、さん――――」
「この前の比じゃない事件にだっていつか巻き込まれるって……分かってる。分かって、いるんだ。でも、」
次から次へと透明な雫を溢れさせる大きな瞳に、語りかける。根本的な問題はまだ解決したとは言えなかった。
あの部屋の外で生きるということは、常に降りかかる様々な危険を覚悟しなければならないということだ。
そもそも今までその重要性に気付こうとしなかった綱吉が最も罪深いのだろう。自分の為に、逃げていた。
「っていうか、まずお付き合いから始めるとかそういう思考はないわけ?」
「告白通り越してプロポーズか?はっ、焦りすぎだぞ」
「だーもう!二人共邪魔するなら出てってくれないかな!ここ俺の部屋だから!」
いちいち茶々を入れるリボーン達を牽制しつつ、視線は決してハルから逸らさない。その一挙一動を見逃さない為にも。
十年間、彼女にとって、事件と呼べる事件は殆ど未遂に終わっていた。それは幸運なことなのだろう。
情報部主任という地位に居続けられたことも、今では彼女の存在意義そのものになってしまっている。
辞めなくっていい。そのままで、その地位で、ボンゴレに居てくれればいい。……まずそれがひとつ。
「……俺はまた、ハルを傷つけるかもしれないけど」
傍にいて欲しい。でもいつも一緒には居られない。全ての危険から守りたい。でも物理的に不可能なことだってある。
いつだって傍にいて、必ず君を守る―――そう言えればどんなに良かっただろう。彼女の為にだけ生きられたなら。
それが出来ないのに手放せないなんて、我ながら酷い男だった。ずるくて卑怯で、……あ、むっつりじゃないけどな!
(この道を選んだことを後悔してるわけじゃない。だけど、……そう、だから)
「いつか俺が道を間違えそうになったら、殴ってでも止めて」
あの雨の日のように、殴った本人が一番辛そうな顔をして。それでも全力で止めてくれるだろう。
―――そして更に彼女を深みに引き摺り込むことになると知りながらも、止めない自分がいるのだろう。
「…………好きだよ、ハル」
どうか、ここまで落ちてきて。