ああ、――――敵わない。彼女にはいつだって。

 

 

 

 

 

ちゃきり、と背後で聞き慣れた金属音がした。その音に警告を感じて、綱吉は伸ばしかけた手を握り込む。

衝動が収まらず反対の手でそっと口元を覆うと、やはりどこからか舌打ちが聞こえた。しかし反応する余裕はない。

 

 

(いや、うん。分かってる。全然分かってないことくらい分かってる)

 

 

自信満々な態度でこちらを睨むハル。彼女は自分が一体何を言っているのか、これっぽっちも自覚してはいないだろう。

 

 

 

「聞いてるんですか、ツナさん!」

「は、はいっ!聞いてます聞いてます」

「私は絶対に負けませんから!いえ、負けたことなんか一度もありませんからっ!」

「………………」

 

 

 

思わず敬語になりながらもその言葉には頷きを返さず、綱吉は黙って頬を膨らませる彼女を見つめた。

 

確かに十年前、自分が彼女を好きだったかというと、多分そうではなかった気がする。

これが恋なのだと自覚せずとも、ただ“気になる存在”の一人でしかないと、思っていた。それは認めよう。

 

 

(でも、ハル。―――恋は、時間じゃないんだろう?)

 

 

恋は一瞬で落ちるものだ、と言って笑う姿が目に浮かぶ。長い間暖めてきたというのなら―――綱吉とて同じことだ。

ただそれが、『十年』ではないだけのこと。それを長い間、自覚していなかっただけのこと。

 

自分のしでかした事を棚に上げるつもりはないが、この胸の痛みを否定された気がして、握った拳に力が篭る。

 

 

(好き、なんだ。……もうどうしようもないくらいに……)

 

 

いけないことだと分かっていながら、記憶を奪って閉じ込めてしまったように。

返事を聞く余裕もないほど求めてしまったように。―――愛してる、その言葉が、恐怖で声にならないように。

 

 

 

失うことが怖かった。けれど、だからといって離れるなんて考えられない。

傍にいたい。けれど、この道を選んだ以上は“傍にいてほしい”としか言えない。

 

 

 

「勝ったなんて思わないでくださいね!私はずっと、ずっと好きなんですから!」

 

 

 

好きだった。ずっと好き。彼女が繰り返す言葉は、綱吉の告白への返事だと思っていいだろう。

ボンゴレファミリーの十代目ボスの隣に立つ、それがどんな危険を伴うか分からないほど、彼女は愚鈍ではない。

 

それすらひっくるめて、全てを受け入れた上で――――ああ、この愛しさをなぜ今まで知ろうとしなかったのか―――

 

 

 

ふと、沈黙が訪れた。男三人が見守る中、ハルはぎゅっと唇を噛み締めて俯く。

だがその静寂すらも今の綱吉には心地いいものでしかない。何かしらの焦燥を感じさせるものでは、ない。

 

 

 

「ツナさん。私は……その必要があるなら、誰かを殺せる人間です」

「―――――――」

「自分の目的の為なら、誰かを犠牲にすることさえ厭わない人間なんです!」

 

 

 

それでも――?と問い掛けてくるその身体を今すぐ抱き締めてしまいたかった。好きだと、そう言って。

 

もちろんその都度背後で響く銃の音や、トンファーらしき金属音に阻まれ断念するしかないけれど。

 

 

 

「……俺も、そうだよ」

「…え?」

「俺も、そうやって生きてきたよ。今まで、ずっと」

 

 

 

ハルは悪くない、そう言うことは簡単だった。だが彼女はそんな言葉を求めている訳ではないだろう。

だからただ、ここに同じ存在がいると伝えるだけ。決してひとりではないのだと、そう、祈るように。

 

かつて自分がそうなった時、ハルは少しも変わらなかった。何も変わらないと、言ってくれたりもした。

 

 

 

「なあ、ハル。―――俺と一緒に、生きて」

 

 

 

思い出すだけでもどんなに救われてきたか。これから、ほんの少しでも何かを返していけるだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また長い長い沈黙が落ちて。辛抱強く待っていた綱吉の耳に、微かな音が届いた。

 

 

 

「………う」

「う?」

「っ、浮気したら、ゆるしません……!皆さんに協力してもらって、っ、お仕置きします……!」

 

 

 

大きな目にまた涙を一杯溜めて、本当に可愛い―――じゃなくて。

 

 

 

「ああ、任せとけ。俺が責任取ってやる」

「ちょっなにリボーンが答えてんの?!っていうかお仕置きって何!」

「しょうがないから、僕も手伝ってあげるよ。報酬次第だけど」

「何で雲雀さんまで話に乗ってきてるんですか!」

 

 

 

緊張がどっと緩む。口を出してきた二人に文句を言いながらも、綱吉はハルから目が離せなかった。

泣きながらも、……笑って、いるからだ。本当に、心からの、箱庭にいた頃のものではない笑顔。

 

ハルはハルだろ。そう言ってリボーンの忠告を跳ね除けた自分は間違っていた。あれは、“違う”ものだった。

この笑顔を見てしまえば、あんな作り物の強制されたカタチなど、何の価値もない。

 

 

(リボーンは、本当に最初から分かってたんだ……)

 

 

嬉しそうに、幸せそうにハルは笑う。その頬に幾筋かの光が流れていく。

 

悲しみの色を持たない彼女の涙が綺麗すぎて、その雫を口に含んだらどんな味がするだろうと思っ―――

 

 

 

「マフィアのボスは愛人を持つのが普通だが……まあ、ちゃんとやることやっとけば文句は言われねぇだろ」

 

 

 

なあ、ツナ?といつの間にか至近距離で囁かれて、綱吉は心臓が飛び上がるほど驚いた。

彼の台詞もそうだが、何より、ハルからは見えないよう背中に押し付けられた銃口が怖すぎる。

 

 

(こ、これだからこいつの読心術って……)

 

 

邪な思考を読まれた気恥ずかしさに生まれた隙の、ど真ん中に。その言葉は深く深く突き刺さった。

 

 

 

 

「ツナさん、………大好きですっ!」

 

 

 

 

――――あ、落ちた。