いいんですよ、私はどうなっても。

肩に傷が残ったとしても、それが一生消えなくたって、本当にへっちゃらなんです。

 

――――貴方さえ笑っていてくれるなら、それで。

 

 

 

 

 

ツナさん、といつものように声をあげようとして、ハルはふと思い直した。目を伏せ、口を閉ざす。

 

自分はとても弱いから。すぐ人に縋ろうとするから。・・・・だから、今だけは我慢しなくちゃいけない。

そう、せめてこの報告を終えるまでは。

 

 

どうしたの、と柔らかく尋ねてくれる彼の声音とは対照的に、ハルは意識して低く、静かな声を出した。

 

 

 

「・・・・申し訳ありません、“ボス”。雲雀さんには京子ちゃんの所へ行って貰ったんです」

 

『え・・・?京子、ちゃん?』

 

「ええ。どこの誰が計画したかは未だ分かっていないんですけど、組織的に彼女を狙った動きがありまして。

私、どうやら京子ちゃんに間違えられたみたいで―――その所為で会議に遅れちゃいました。ごめんなさい!」

 

『な・・・・っ!ハル、大丈夫なのか!?怪我はッ』

 

「私は大丈夫、ですよ。だから―――今すぐ京子ちゃんの無事を確認して保護して下さいって雲雀さんに言ったんです」

 

 

 

ハル自ら進んで身代わりとなった事などは報告する必要はないだろう。

誘拐されたとは一言も言わず、ただ『京子ちゃん』が危険に晒されていると繰り返し説明する。

 

罪悪感は多少あれども、達成感の方が強かった。つらつらと口から滑り出す言葉の中に含まれた嘘も上手く隠せた。

 

 

―――隠せたと、思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり忘れてたんだ、という雲雀の言葉に綱吉は何か引っ掛かるものを覚えた。

 

了平が暴走した結果ではあったが、幸い仕事中でもなかったらしく、携帯は直ぐハルに繋がった。

その事に本当に安心して、じっと大人しく二人の会話に(聞こえるのは雲雀の返答だけだが)耳を傾けていた。

 

しかし何故か途中から・・・じわりと更に嫌な予感が広がり、おまけに首筋がちりちりと疼きだす。

 

 

(ハルが、定例会議があることを忘れていた?)

 

 

あのハルが、だ。人一倍仕事に真剣に取り組んで、毎日どんな小さなミスも犯さないよう注意を払っている彼女、が?

自らをメインとして始まる今回の定例会議を、忘れてたっていうのか?そんなの、絶対可笑しい。

 

無意識にも否定したがっていた予感は確信となって綱吉の心を支配する。何かが変だ。何かが、起こっている。

 

 

そして極めつけに雲雀の口から零れた、名前。

 

 

 

「いい加減に――――笹川?・・・ちょっと何それ、どういう意味――」

 

 

 

彼は、了平のことをそう呼ばない。彼が“笹川”と呼ぶ人物は只一人、妹の笹川京子のこと。

日本支部で兄と共に事務系の仕事をしている彼女。勿論大切な仲間のひとりであり、ハルの親友だ。

 

数ヶ月に一度、そう今もイタリアに来ているのだが・・・・それが一体何だと言うのだろう。

 

雲雀はしばらく黙ったままハルの話に聞き入っていたが、見る間に纏う空気を険しく変えていった。

 

 

 

「―――了解。取り敢えずボスに代わるよ」

「おい雲雀?一体何だというのだ。京子が、どうした?」

「・・・・どうも、今日は会議出来そうにないみたいだね」

 

 

 

了平の問いに雲雀は答えなかった。会議が出来ない?やはり、何かが・・・・・

 

彼は説明する暇すらも惜しいというように携帯を綱吉に押し付け、そのまま無言で疾風の如く部屋を去ってしまった。

 

 

 

「ぇ、ちょ、雲雀さん何処に行くんですか!?・・・ってもう居ないし!」

「あ、俺ちょっと追いかけてきます!」

「獄寺!」

 

 

 

次いで飛び出して行った獄寺を尻目に、綱吉は携帯を手に少しの間だけ考え込んだ。

まだ通話中のこれを渡された、ということは彼女から聞けということなのだろうか。

 

確かにそれが一番分かりやすいだろう。直接声を聞きたかったこともあって、直ぐそれを耳に当てる。

 

 

 

「あの、ハル?一体どういうこと、かな。雲雀さんは・・・」

 

 

 

怖がらせたりしないように、ゆっくりと噛んで含めるように優しく問うた。

が、返って来た応えは綱吉が期待していたものとは違って、どこか暗く沈んだ声だった。

 

 

いつものように、明るく元気な声が聞けるのだと――――何の根拠もないのに、信じていた。

 

ハルの声が曇ることなんてないのだと、彼女は絶対傷ついたりはしないのだと――――馬鹿みたいに、信じていた。

 

 

だがその自信も彼女の発した次の一言で、全てが崩れ去ってしまう。

 

 

 

『私、どうやら京子ちゃんと間違えられたみたいで―――その所為で会議に遅れちゃいました。ごめんなさい!』

 

「な・・・・っ!」

 

 

 

(京子ちゃんを狙う輩がいて、その上で京子ちゃんに間違えられた、だって?)

胸に蟠っていた様々なものが今、ひとつに繋がった。おかしいと思っていたことが今なら全部理解できる。

 

 

ハルは定例会議のことを忘れてたんじゃない。いや、それどころじゃなかったんだ。

そんなことすら考えられない危険な状態に置かれていたんだ、そう、たった今まで!だから連絡も出来なかった!!

 

 

 

「ハル、大丈夫なのか!?怪我はッ」

 

『私は大丈夫、ですよ。だから―――今すぐ京子ちゃんの無事を』

 

 

 

それなのに自分達は何ひとつ気付けなかった。連絡がない時点で、何かに巻き込まれていると考えるべきだったのに。

ハルは今大丈夫だと言ったけれど・・・怪我がない、とは一言も言わなかった。それにもう声の調子で分かってしまう。

 

 

 

『ですからボス、暫く京子ちゃんの警護を強化し―――』

 

 

だから遮った。

 

 

「ハル」

『え、はい、何ですか?』

 

「今、何処に居るか教えて。・・・・行くから」

 

 

 

これ以上、平静を装うハルの声を聞きたくはなかった。