君を、想うよ。
夢の向こう側に
突風に靡いた黒髪に目を奪われて、綱吉は無意識に手を伸ばした。そっと、壊れ物を扱うかのように。
硬いかと思われたそれは意外なしなやかさを持ち、握り締めた指の間からすり抜けていってしまう。
彼女はこちらの行動を気にした様子もなく、ただただ飽きもせず目の前に広がる海を眺めている。
それが少し不満で、綱吉は名を呼ぼうと口を開いた。しかし何故か言葉が喉の奥で留まり、音にならない。
(…………っ……)
届かない声。掴めない髪。――――自分ではない“何か”に気を取られている彼女。
その細い肩を力ずくで引き寄せてしまいたい。振り向かせて、その柔らかい唇を奪ってしまいたい。
そして出来るならばその暖かな首筋に―――――
「………会議中に居眠りとはいい度胸だな、ツナ?」
「のわぁっ?!!」
氷点下零度の冷え切った声に、その幻影は一瞬でかき消された。
まだ半分夢の世界に浸っている頭を何とか叩き起こして、綱吉はようやく周囲を見渡した。
すると呆れたような視線が半分、心配そうな視線が半分と、いささか居た堪れない状況であることに気付く。
(そういえば……会合中だったんだっけ、……予算の)
大事な話し合いの最中に眠りこけることはもちろん、見ていた夢の内容が内容である。
あのままリボーンに起こされなかったら一体どんな醜態を晒していたか。どこまで、進んでしまっていたか。
「まあまあ、今朝出張から帰ってきたばっかだろ?ツナだって疲れてんだし」
「飛行機では部下ほっといて存分に爆睡してたくせにか」
「あ、あれは爆睡っつーより気絶だと思います!……雲雀のせいで!」
「ぐちぐち五月蝿いから咬み殺してあげたんだよ。感謝して貰いたいものだね」
「あんま飛行機ん中で暴れんなよー」
「そういう問題じゃねぇよ!」
仲間達の言い合う声をそれとなく聞き流しながら、綱吉はまた先ほどの夢へと意識を向かわせる。
今も指先にやけにリアルな感触が残っている。日本人特有の柔らかでしなやかな黒髪は、とても触り心地がいい。
あの事件があってから何度も抱き締めた細い身体と、こちらを見上げる潤んだ瞳。濡れた唇。
(……続き、…か……)
その先を知りたいと思ったことは―――ないと言えば嘘になる。こういう夢を見たことも、実は初めてではない。
「しっかし、見事なタイミングだったよな?情報伝達ミス。これってやっぱ…」
「内通者がいる、とでも?一体誰が得をするっていうのさ。相手ファミリーかい?」
「…にしちゃ、お粗末な結果だろうな。それならもっと上手く事を運べたはずだ」
「偶然……なのか?ったく、訳わかんねー」
酷く疲れていたのは確かだ。相手ファミリーがとても頑固で、ボンゴレ側のミスもあり話し合いは上手く進まなかった。
なんとか及第点には漕ぎ着けたものの、当初予定していたレベルでの契約履行はほぼ不可能。手痛い展開だった。
誰かがそう仕向けたのではないかという話も出たが、如何せん確実な情報が少なすぎる。
こんな時はハルに暖かい紅茶を淹れてもらって。少し話を聞いてくれれば、多分すっきりするとは思うのだが―――
(くそっ…ああもう何で俺、こんな夢見たんだろ……)
会いたい。会ったなら、触れたい。触れたなら、その先が欲しい。もっと、もっと、もっと。
欲望だけは際限なく胸の内で膨れ上がり、とどまることを知らなかった。言葉だけでは満足できない。
「とりあえず山本、今回の件に関わった人間全てをリストアップしとけ」
「了解。っと獄寺、それは向こうのファミリーも含めて、か?」
「ああ?……まあ、ないよりはあった方がいいか。頼む」
「ふぅん。それ、無駄にならなきゃいいけどね」
「ケチつけんな。つーかお前が用意するわけじゃないだろ、雲雀……」
重要なことを話していると分かっているのに、どうにも思考がついていかない。―――欲しい。
(っ、駄目だ…まだ、それは……)
マフィアのボスと情報部主任。その二人の時間を合わせようと思っても、私用を挟める余裕などなく。
――――あれから一度も、デートと呼べるデートさえしていないのだ。
精々が二人で数十分お茶を飲むことくらいで、ここ数週間は恋人らしい触れ合いさえもない。
もし今、こんな精神状態で彼女に会って。……二人きりになって。少し長めの時間を過ごしたなら。
(………ビアンキに殺されることになる、かも)
そうでなくてもハルのことは大事にしたかった。今まで長かった分、ゆっくりと進めていけばいいと思っていたのだ。
しかし男として恥ずべきことだったが、自分を止められる自信が全くない。彼女を泣かせる真似だけはしたくないのに。
「明後日に経過報告を……っておい、ツナ。また寝る気か?!」
寝惚けた頭で考えても答えは出ないだろう。自分の望みを叶えるには、まだ時期が早すぎる。
綱吉はふっと顔を上げると、怒りを滲ませつつも不審そうに見てくるリボーンを見据えて、決意も新たに言い切った。
「なあ、リボーン」
「あ?…また散歩とか言うつもりか。午後から無理して休み取ってやったんだ、それからでも」
「……ちょっと、コロネロの所に行って滝に打たれてくる」
「――――はあ?!」
心頭滅却。それが今の自分に必要なことだと、思った。