たとえば、花が色づくように。
たとえば、蝶が羽化するように。

彼女が本当に嬉しそうに笑うものだから――――

02. It's the only thing for me that see your back



ボンゴレ十代目、やその幹部達と主任とが昔馴染みであることを少し前に知った。
だからあの若さでこの地位にと陰口を叩くものもいたがそれも少数で、俺達直属の部下は
特に何の感慨も覚えなかった。いや、………俺は、少し安堵したのかもしれない。

とにかく主任は一切そんな素振りを見せず、妥協もせず、黙々と仕事を片付けている。
その集中力は誰もが舌を巻くほどだった。陰口が陰口にしかなり得ないのも当然のこと。
目を離すと仕事をサボるから、という理由で俺は最近主任と共に動かされることが多い。
基本誰かに扱き使われるのは嫌だったものの―――彼女の熱意に絆されたというか。
冷静さを要求される主任の癖に秒単位でくるくると変わる表情とか、反面仕事中では
はっとするほど真剣な顔をして、強面の男連中と軽く渡り合ってしまう交渉術とか。

そんな姿に、そう、正直興味が湧いたのだ。今まで周囲に居ないタイプだったせいもある。



(………変?というよりかは、むしろ)



声に出しては言えないが、まるで珍獣の生態系を見守る気分だった。もしくは、観察。
本部への異動が決まった際、単に給料が上がるという面でだけ喜んでいたが――――
変わらぬ退屈な日々が続くのだろうと思っていたが、良い意味で裏切られた。


一ヶ月と少し。時間は飛ぶように過ぎていく。
それが嬉しくもあり、どこか勿体無いとさえ感じている自分が何よりもおかしかった。










「わ、早いじゃないですか。すごいです!」
「ああ、まあな」
「なにか…いいことでもあったんですか?」
「………は?」
「だって最近ずっと珍しく真面目に働いてますし。ミラクルですよ?」
「ミラクル言うな。別に、―――慣れてきただけだ」
「…っ……」





新しい職場に慣れたから。そう無難なことを言って、本当の理由は心の底にしまい込む。
すると何をどう解釈したのか、主任はみるみる大粒の涙をその瞳に浮かべた。
ぎょっと目を剥いた俺に構うことなく、彼女は僅かに肩を震わせ俯く。周りの視線が痛い。
痛すぎる。これだと俺が泣かせたみたいじゃないか。いや、俺が泣かせたのか?!





「はひ、ごめんなさい、そんな事にも気付かないで怒ったりして……!」
「待ていいから待て。誰もそんなことは言ってない!」
「いいんです本当に。主任失格ですよね、ビアンキさんに頼んで修行のやり直しを―――」
「ああだからな……っ、もういい、資料提出してくる」
「あ、それは私が」
「その顔で外に出るな!いいから黙ってろ!」





主任の机から奪うように資料を取り、引き止める声を無視してその部屋から逃げる。その
背にびしばしと嫌な視線が突き刺さっていたのは言うまでもない。全く、とんだ災難だ。
彼女が上司だったから仕事がスムーズに進んだとか。常に一緒だったからどうだとか。
そんなことはどうでもいい。ただ泣かせてしまったという事実だけが、酷く重く感じる。



(なんでこう、変な方向に行くんだ………)



それもこれも主任の思考が斜め上後即Uターン的突飛な方向へぶっ飛ぶから悪いのだ。
俺はわざとらしく大きな足音を立てて、今朝告げられた提出場所へと小走りに急いだ。









―――その、三十分後。

煩くないよう静かに扉を閉めた俺は、正面突き当たりで立ち尽くす主任の姿を見て思わず
脱力した。位置からして明らかに不審、『誰かを待ち伏せしています』な状態だったからだ。
気になって追いかけてきたのかと納得する一方で、ふと、彼女がこちらではなく窓の外を
見ていることに気が付く。熱心に何かを―――いや、“誰か”を、見て?


………それは一瞬のことだった。


ふわり、と。
そう表現するのがぴったりなくらい、ゆるやかな変化。
ほんのりと赤く染まった頬は、まるで十代の少女のよう。



初めて見る表情だった。彼女があの日浮かべていた笑顔と似てはいるが、少し違う。
本部ビルの窓は特別製で、もちろん外から覗くことは出来ない仕様になっている。
だから。外に居る“誰か”には、その表情は見えないはずだ。だから。なのに。





「………は、何だよそれ……」






そんな言葉で、喉までせりあがっていた何かを誤魔化した。


視線の先に誰がいるのか―――分からない振りを、して。