地面に横たわる一人の男。傍に落ちた小さな拳銃。
アスファルトに広がった赤い色は、時間と共に流れ、消えていく。
俺はその背に問い掛けたかった。詰りたかった。
本当にそれでいいのかと。本当にそれが、あんたの望むことなのか、と。
「 」
ハル。そう小さく呟いたはず言葉は、己の耳にさえ届かずに。
降りしきる雨の中、彼女はただじっと前を見据えていた。
「――――え?」
なぜそんなことを言われるのか分からない、といった様子で彼女は目を見開いた。
その反応に複雑な感情を覚えつつも俺はもう一度繰り返した。……少し、吐き気がする。
「だから、……おかしいだろ。これは情報部がやる仕事じゃない」
「いえ、でもこれは―――」
「っこれが!こんなことが!あんたのやる仕事かって聞いてるんだ!」
こんな時でもまだ困ったように笑う主任に、俺は半ば怒鳴りつけるように叫んだ。
その勢いに主任はびくりと身体を震わせたが、それでも頑として視線を逸らさなかった。
ざあざあと雨が降る。叩きつけるような激しい雨。
俺達の頭上から容赦なく降り注ぐそれは、確実に体温を奪っていく。
ふと、沈黙が流れた。硝煙や血の臭いは雨に流されてもう感じることは出来ない。
近くの地面に倒れている男は頭から血を流し既に絶命している。そう、彼は―――
『成り上がりの主任など、俺は認めない!』
愚かな男だった。ボンゴレから情報を盗むという馬鹿げた行為に走り、結局自殺した。
もちろんそんな人間は昔から後を絶たなかったし、それで何人も粛清されている。
今回特別だった点は、その背後に大きな組織が控えていたこと。つまり彼はスパイだった。
しかし主任はそれを知りながら―――分かっていながら、それを上に報告しなかった。
スパイを易々と侵入させた脆弱な情報部、という醜聞が内外に広がるのを抑えるため
という理由で、主任と二人だけで男を追った。そもそもそれからして奇妙だった。
(主任は、スパイの存在をボスにさえ知らせていない)
そして男を取り押さえたこの場所で、彼女はこう言ったのだ。
死んでくれませんか、と。
度重なる抗争で疲弊したボンゴレは、現在もまだ水面下で復旧に追われている。
もちろん今回の事件が発覚すれば相手組織との抗争はまず免れない。
しかしそれはボンゴレ側にとっても痛い話だった。痛い、と知られる訳にはいかないが。
だからこそ彼女はスパイのみを始末することによって、全てを闇に消そうとした。
情報を得ようとした組織は既に調べがついている。今はまだ泳がせておくから、と―――
男は、このまま生きてボンゴレに捕まれば凄惨な結末、分かりやすく言えば拷問が待って
いると悟っていたのだろう。最後に口汚く彼女を罵って自らを撃ち殺した。
―――主任は。彼が倒れ絶命するまで、一瞬たりとも目を閉じなかった。
もし男が即座に死を選ばなければ、彼女自身が手を下していたかもしれない。
それほどの覚悟が見えた。だが、……本当にそれで良かったというのだろうか?
「ボンゴレには殺し屋ならごまんといるだろう!なんでこんな役割を、」
「―――私は、ボンゴレの一員ですから」
常になく動揺していた俺を、彼女はそんな一言で黙らせた。凛とした声。瞳に宿る強い光。
その足元には男が頭を撃ち抜いた際飛び散った血が、雨にすら流れずこびりついている。
「ボンゴレを守る為に最善だと思ったなら、私はいつでもそうします」
「……ただ、それだけなんですよ」
嘘だ。
「あ、もちろん“あちら”には牽制をかけますから!」
困ったように笑う彼女と共にずぶ濡れになりながら、俺は吐き気と共に俯いた。
あんたはボンゴレの為にじゃない、―――あいつの為に、動いてるんだろう?
あの男の為だけに、あんたはここにいるんだ。あの男がいるから、だから。
噛み締めた唇からは、微かに血の味がした。