「―――二度とするな!」
激情を叩きつけるように叫びながら、頭の隅で冷静な自分が鬱々と笑うのが分かる。
沢田綱吉。これは、お前の知らない傷だ。お前の知らない『三浦ハル』だ。
…………ああ、この傷が一生消えなければいいのに。
掠れた悲鳴が耳に届いた。瞬間、俺は心臓が止まるほど驚いて即座に振り返る。
見ると、左腕を押さえてしゃがみ込む主任の姿。その指の間からは赤いものが覗いていた。
道路を挟んだ向こうで銃を構える男が目に入ると、視界全てが赤く染まり――――
直後に響いた一発の銃声。
俺は迷わず男を撃ち殺し―――地面に膝をついた主任の傍へと駆け寄っていた。
「何やってるんだよ!」
「いえ、少し、掠っただけで………」
顔に苦痛を滲ませながらも強気に笑ってみせるその姿に、安堵ではなく苛立ちが生まれる。
相手との距離や位置的に、俺を庇ったのは明らかだった。多分とっさの判断だったのだろう。
だがしかし傷つき血を流している主任を見て、俺は溢れ出す感情を抑える事が出来なかった。
「っ、馬鹿かあんたは!ふざけるな!!」
「はひ、な、何ですか?!」
「何じゃない、お前は本当に情報部主任か?自分の立場を弁えろ!!」
なんてことを。頭の中はその言葉だけが渦巻いていた。なんてことをしたんだ、この馬鹿は。
部下を庇い、傷つき、それを悪いことだと思っていない態度。言語道断だ。ありえない。
その小さな身体で、ボンゴレ情報部という重い枷を背負っているというのに――――
それがどんなに重要か、どんなに重大な意味を持つか。彼女は本当に分かっているのだろうか。
俺は苦々しい思いを抱えながら、荒げてしまった声を少し抑えて語りかける。
「いいか、部下を庇うな。部下が上司を庇うならまだしも―――」
「でもそんな酷いこと、私は……!」
「部下を庇っていいのは、庇って尚も自分を守れる奴だけだ!」
その努力も虚しく、主任の反論の声に対比するようにこちらも声が大きくなった。
誰にも傷ついて欲しくない――そう思うのは、彼女の優しい性格と、その甘さゆえだろう。
マフィアという暗闇の世界に十年近くも籍を置きながら、未だにそんな台詞が吐けるのは一種の
才能だと言ってもいい。そして叶うならば、いつまでもその心を持っていて欲しいとも思う。
(だからといって見てみぬ振りをすれば、………主任はいつか誰かを庇って死ぬ)
何の後悔もなく。誰も責めず。ただ笑って逝くのだろうと、考えなくても分かった。
「二度とするな、―――っ、二度とだ!」
「わ、たしは、……っつ…」
「ああほら、いいからじっとしてろ。止血が先だ」
何か言いたげにこちらを見つめてくるのを無視して、上着を脱がせ強引に手当てをする。
幸い本当に掠っただけのようで傷は軽く、俺はそっと安堵の溜息を吐き肩の力を抜いた。
その柔らかな感情の裏で――――何か別のものが湧き上がってくるのが分かる。
これは俺を庇ってついた傷なのだ、と。俺だけが知っている傷なのだ、と。
優越感に似た思いと共に、我らがボス、ボンゴレ十代目沢田綱吉の姿が脳裏に過ぎった。
上司が部下を庇うな、部下が上司を庇うならまだしも。……先ほど自分が言った言葉だ。
この原理でいくなら情報部主任である彼女が庇っていいのは、たったひとり。
(そう、あんたが庇っていいのは、あんたより地位が上のあの男だけだ)
その先に死が待っていたとしても。
もしもそんな日が来たら、あいつは一体どんな顔をするだろう?
絶望か、それとも俺のように、心の奥底で歓喜するのか。
いや、そんな日など永遠に来させはしない――――