その想いの行き着く先へ



寄り添いたい心と、開いていく距離...14

綱吉は、迫りくる妙な衝動と闘っていた。

学校から目的地に直行している途中、通行人に笑われながらも我慢してなまはげを背負って歩いてきた。
やがて幾度か足を運んだことのあるハルの家に到着したので、インターフォンを押して沢田綱吉だと名乗る。
するとあれよあれよという間にリビングに通されお茶を出してもらい、いつの間にかハルの部屋に行くことになっていた。
それ、邪魔でしょう?と本来の目的――実際はついでだが――であるなまはげをあっさり回収されてしまう始末。
(……単にお見舞いに来たってことでいいか……一応ゼリーも買ったし)
風邪でも驚くほどするりと食べられると評判のお菓子を、ハルの見舞いに行くのを聞きつけた京子が教えてくれたのだ。

綱吉はそれを片手に彼女の部屋へと向かった。彼女の母親の、ごゆっくり、という言葉を背にして。
目的の扉の前で止まりノックをして―――ハル。と、目的を考えれば緊張しがちな声で呼んだ。しかし返事がない。
まさか倒れてる?!と踏み込んだのがまずそもそもの間違いだった。目に飛び込んできたのは、静かに眠るハルの姿。


―――――そのあまりの無防備さに。なぜか綱吉の方がダメージを受けてしまったのである。


硬直していたのは数分か、もしくはもっと長かったのかもしれない。
ふと何かの拍子で我に返った綱吉は、特に何も考えず開きっぱなしの扉を閉めつつ部屋の中に入った。
どこか窓が開いているのか廊下は風が強く、ただ単に身体に障ると思ったからだ。それが二度目の間違いだった。

密室ではないが、閉鎖された空間。今から告白しようと思っている相手と、ふたりきり。
なんだか訳の分からない衝動に支配されて、ゆっくりと、手が伸びた。艶やかな黒髪にそっと触れる。
起こさないように細心の注意を払って。ともすれば何かもっと別なことをしてしまいそうになる自分を抑えながら。

何が悪かったんだろう。綱吉の態度か、それとも。知らないうちに―――なぜ、手を伸ばされなくなっていた?
瞬間、ぞくりと首筋が震えたので素早く手を引き戻しながら、綱吉は強く思う。


…………気付くのが遅すぎたなんて、絶対に認めたくなかった。









見られた。心の中はその感情だけでいっぱいだった。見られた。……見られた!

かわいらしいアップリケがついた、まるで子供みたいな部屋着に身を包んだ姿とか。
間抜けな顔をしていただろう寝顔とか、起きたばかりでぽかんとしていた様子とかっ!

ハルはあの後直ぐに意識を取り戻したが、顔を上げられず俯くしかなかった。恥ずかしさで顔が熱い。
多分家で散々彼のことを話しているから、……その、好きだとも伝えたから、母が嬉々として迎えたに違いなかった。
(自分たちが万年らぶらぶだからって―――ああもう!)
娘がどうしているかも確認せず、キューピッドにでもなったつもりで。きっと今頃満足げに父にメールしているはずだ。



「あの、ツナさん本当にごめんなさい!変なところ見せちゃって」
「い、いや俺こそっ!勝手に居座って―――。でも、元気そうで良かった」
「………っあ……」



そういえば、さっきお見舞いがどうのと言っていた。わざわざ来てくれたのだろうか、……仮病だったのに。
嬉しさと同時に申し訳なさが溢れてきて、ハルはそれを誤魔化すように声を張り上げた。



「少し大事を取って休んでただけなんです。寝てたらさっぱり治っちゃいました!」
「そうなんだ。…………。………あ、のさ。ハル」
「…………え?」



しかし、怖いくらいに真剣な顔をした綱吉の目を見てしまった途端、その虚勢は剥がれ落ちる。
そこにあったのは、今朝ビアンキが浮かべていたのと同じ色。ハルは思わず息を止めて目を見開いた。
出会ってから今まで一度も聞いたことも無いような………緊張を孕んだ、声。ゆっくりと、噛み締めるように。



「―――大事な話が、あるんだ」



どくりと心臓が一際大きな音を立てた。大事な話。そんなこと、たったひとつしか、ない。
そうだ、どうして気付かなかったんだろう。たとえ向こうの組織とやらが話す必要はないと判断しても、綱吉は違う。
隠し事はしないと約束してくれた彼が、友人に黙って姿を消すようなことをする筈がなかったのに。
(別れを、……告げに………?)
胸の奥がぎしぎしと軋むように痛みを訴えかけて来る。聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない……!



「……?……ハル、どうし」
「っ、ちょっと待ってください!」



呼びかけられて、反射的に悲鳴のような叫びを返してしまった。不審に思われただろうか、でも、こんなことって―――。
いやいやと首を振って広くもないベッドの上で後ろに退く。こんなに早いなんて、知らなかった。気付かなかった。
幸せな時が終わる。誰もいなくなる。皆の、綱吉のいなくなったこの町でどうやってこの先生きていけと言うの。

半ばパニックになったハルを更にどん底に落とすかのように、綱吉は更に言葉を紡いだ。



「も、もしかして、いやまさか、リボーンとかから聞いてる?!」



ああ、やっぱり。絶望的な思いが心を満たしていく。みるみる涙が溢れてくるのが分かった。

それと同時に、眠りに落ちる前に考えていたことが蘇ってきた。ふたつの道。ふたつの選択肢。
イタリアに行くという綱吉を見送り、この想いが消えるいつかを待ちながら生きていく道。
行く前に気持ちを伝えて、恋の終わりを自ら迎える道。前者を選ぼうと、思っていた。……この瞬間までは。

どうして耐えられるなんて一度でも思えたんだろう。どうして、この想いを抱えたまま見送れると思ったのだろう。
いざその時が来てみれば――――泣き喚いて行かないでくれと縋りつきたい衝動を抑えるので精一杯だった。
(いつもみたいに笑うなんて、無理です……!)
ビアンキは、ハルがこう思うことを知っていたのだろうか。選択肢などなきに等しいのだと。

成功していると思っていた強がりがその瞬間には霧散することを見抜いていたから、
二度と会えなくなる前に告白しなさいと――――そう、背中を押しにきてくれたのだろうか。


ぽたり。ぽた。堪えきれない涙は頬を伝い、ベッドのシーツにわずかな音を立てて落ちた。