はっと我を取り戻した時には、綱吉は自分の部屋に戻っていた。気絶していた―――というわけでは、ない。
あれから皆と別れ、ビアンキとチビ達を連れて家路についたのは覚えている。何を喋ったかも、微かには。
だがそれよりなにより心を占めていたのは、ハルだった。着ぐるみを脱いだあの姿は普段と明らかに何かが違う。
……化粧はしていなかった。でもほんの少し甘い香りがした。そして髪に編みこまれたリボンが目に焼きついている。
別にプレゼントしたわけでもないのに。ただ偶然会って、偶然、どちらがいいかと聞かれて答えただけ。
「……………っ、やばい……」
何が、とか、何で、とか。考えたくもないくらい心がざわめいていた。綱吉は思わず額に手を当てて溜息を吐く。
別に今までだって女の子らしい格好をしていたじゃないか。ハルだけじゃない、京子や花だって。
(なんで今日だけ?今日に限って……昨日の今日で、なんで)
なまはげを着ていた所為で乱れていた髪の毛とか全部ひっくるめて。あの服を着てあのリボンをつけた『三浦ハル』が。
ものすごく綺麗、だった。なんて、そんなこと―――――
「俺、やばいかも…………」
脱力した身体は扉にもたれると、ずるずる重力に従って床にへたりこんだ。立ち上がる気力は、ない。
気付かなかった。気付かないふりをしてた、ずっと。でももう、どうしようもないくらいに気付かされてしまったから。
綱吉は立てた膝に顔を埋めて、再び溜息を吐くしかなかった。耳が熱いのは西日のせいだと誤魔化しながら。
折角のワンピースがしわになるのも構わずに、ハルはベッドの上へと勢いよくダイブした。
あの反応は一体どう解釈すればいいのだろう。この服を見た途端、一度だけ目を見開いて―――その後は黙ったまま。
すぐにごみを出し終えた二人が帰ってきて結局、最後まで一言も言葉を交わせなかった。
解散して家に帰っていく後姿を見送っていてもどこかぼうっとしていて、嫌な不安だけが募っていった。
似合うよ、とかそんな言葉を期待していなかったと言えば嘘になるが、それでも綱吉の反応は予想外だった。
背伸びに失敗した中学生に見えたのだろうか。……新製品の匂いつきリップクリームにしたのが悪かったのだろうか。
そもそもこんな服を選ばずに、普段どおりに行けば良かったのだろうか。それが全然分からない。
「……京子ちゃんは、綺麗だって。可愛いって、褒めてくれたんですよ……?」
昼前、最後の買出しに行こうと誘われて、ふたつ返事で了承した。そしてハルの家で着替えて、一緒に行こうと。
集会所に出かける前に着たワンピースと、あのリボン。ハルの髪に編みこんでくれたのは京子だった。
『そのリボン、ハルちゃんにすごく似合ってるよ!』
彼女の台詞が昨日の綱吉のそれと重なって。―――馬鹿な話だけれど、この姿を見せるのが恥ずかしくなって。
そこに夜試作した“なまはげスリムバージョン”が目に入り、急遽それを着込むことにしてしまったのだ。
結局パーティーではランボ達が喜んでくれたのもあって、脱ぐタイミングを完全に逸した。それでもいいかと、思った。
けれど――――。
「もう、わけわかんないです……っ!」
似合ってるよ、とか。……可愛い、とか。昨日みたいにたった一言でも掛けてくれたなら、こんな思いはしなかった。
でも自分から問いかけもしないのに、ただ闇雲に“言葉”を欲しがる自分が何よりも厭わしく思えてくる。
「好き。ツナさん、好き……好き、なんです、ツナさ……」
言えない言葉。届かない声。こらえきれず溢れ出す気持ちは涙に変わって、シーツに染み込んでいった。
ひらひらと綺麗な何かが舞っている、そんな夢を見た気がする。
「…………五秒以内に起きねぇとぶち込むぞ、ツナ」
「はいぃっ!!」
耳元でぼそりと低く囁かれた言葉に、綱吉は条件反射の如く跳ね起きた。と、そこが自分の部屋だと気付く。
いったいどれだけの時間が経ったのだろう?膝を抱きかかえたまま眠り込んでしまったようだ。
「って、リボーン!お前掃除サボってどこ行ってたんだよ!用事とかって嘘だろ?!」
「人聞きの悪いことを言うな。ボンゴレへの定期報告だ」
「またそれだよ…。これ以上妙な連中をイタリアから連れて来ないでくれよな」
「連れて来た覚えはないぞ?勝手に向こうから寄ってくるだけだろうが」
「…………ハイハイ……」
それは多分仕方のないことなのだろう、と思う。今になってやっと、思えるようになった。
この身にボンゴレの血が流れているという事実がある限り、何も変わらない。
リボーンにとってもどうしようもないことなのだ。だから綱吉は修行を受け入れる。強くなるための努力を、する。
(守る力が、欲しい―――)
家族を。仲間を。そして……。守りたい人達の姿をひとりずつ思い浮かべたその時に、ふと、ハルの姿が出てきた。
それも今日のあの―――綺麗だと思った姿で。鮮明に。髪の毛のゆるいほつれすらも再現されて思わず手が出た。
ばちん、という小気味のいい音がして、両頬にじわじわと痛みが広がる。……少し、力加減を間違えたかもしれない。
「おいツナ。まだ寝惚けてんのか。頭は無事か」
「…………。寝惚けてたんなら、まだ救われたかも」
「はあ?」
「ああもう、俺ホントにやばい。超やばいよリボーン!」
「だから何がだ!っ、おいこら、抱きつくな!」
「俺だってどうしていいか分かんないよ!お前俺の家庭教師だろ?!助けてよ!」
「………っいっぺん死んで頭冷やせ――!」
直後に襲った衝撃に意識を飛ばしながらも、彼女の姿はいつまでも消えなかった。