どんなに気分が落ち込んでも、時間は止まらない。特に体調は悪くないので休むという選択肢もない。
ハルは賑やかな教室で珍しくひとり、ぼうっと窓の外を眺めていた。
昨日別れる直前に見た綱吉の服に対する反応は、思った以上にハルの胸の中で響いている。
一夜明けた今もなお。たった一言でいいなら、なぜ冗談に交えてでも尋ねてしまわなかったのか。
……いや、出来なかったのだ。絶句したような彼の表情に、開きかけた口を閉ざした。
その瞬間に生まれた感情は、ここ数カ月、ずっとずっと心の中で燻っていたものと同じ。
好きです、と言って。『ななな、何言ってんだよ、ハル!』と顔を真っ赤にしながら叫ばれる日々。
それがもし、もし壊れてしまったらと思うと、喉がひりついて何も言葉が出ないのだ。
―――好きです、と言って。万が一……ごめん、と謝罪の言葉が返ってきてしまったなら。
―――ごめん、ハル。気持ちは本当に嬉しいけど、だけど俺には、応えられない―――
申し訳なさそうに、そっちが辛いような顔をして、こちらを傷つけないよう最大限の注意を払いながら。至極簡単にその光景が予想できてしまい、視界がじわりと滲んだハルは思わず机に顔を伏せた。
彼は最近、どんどん変わっていってしまった。力も強くなり背も伸びて、時折大人びた目をする。
だからいつか気づくのだろう。
いつまでも子供ではいられないのだと……もしかしたら既に気付いているのかもしれないけれど。
その優しさゆえに聞き流してきたハルの言葉も真摯に受け止めて、“終わり”を選ぶ時も、いつかは。
新しい恋に一直線になっていたあの頃は、自分の気持ちを伝えるだけで精一杯で。
宥めるように伸ばされた手に満足して。たまに少し、その反応の悪さに不平を洩らした。
だが今は違う。反応なんかいらない、このままでいい、でも、ううん、答えなんか欲しくない。
いつかはどこか遠くへ行ってしまうだろう綱吉の生活の中に、まだ組み込まれたままでいたい。
――――終わりを、どうか、選ばないで。
そうだ、だからこそハルは恋の言葉を胸に秘める。綱吉が真剣に考えたりしないように。
――――終わりを、どうか、選ばないで。……もう少し。もう少しだけ。
勝手に期待して勝手に傷つく心なんて、どこかに消えてしまえばいいのに。
授業開始を告げる教師の声が、やけに遠くから聞こえていた。
その日の放課後。
こんな気分で部活に出ても、集中できず怪我してしまうだけだろう。ハルはそう判断してまっすぐ校門へと向かった。
足取りは重く、家に帰りたくない。心配性の母はどんな些細なことでも見抜いてしまう。
普段はありがたいその思いやりも、今どうしてもひとりになりたいハルには邪魔に思えた。
それに加えて、気を抜けばまた涙がにじんでくる。少し頭を冷やしてから帰ろうと、近くの公園の片隅に腰を下ろす。
―――それから数分も経たずに、声が掛けられた。
「………あら、ハルじゃない」
「はひっ…あ……」
「どうしたの、―――泣いているの?」
優しい、優しい声色。いつだって味方になってくれた、時には応援すらしてくれる、このひと。
たまに綱吉が青い顔をして逃げ回るのが理解できないくらい、頼もしくて綺麗な、あこがれのひと。
「………っ…、ビアンキさぁあん!」
ビアンキは両手に買い物袋を持っているにもかかわらず、突然飛びついたハルを柔らかく抱きしめてくれた。
その温もりに安堵したのか、涙が後から後からあふれてくるのを止めることができない。
どれだけの時間、そうしていただろう。やがて、涙が少し引っ込み、冷静さを取り戻したハルは慌てて飛びのく。
しかしビアンキは怒ることなく、買い物袋をそっと地面に置いて、ゆっくりと宥めるように頭を撫でてくれた。
大丈夫よ。何度も繰り返される言葉は、まるで魔法のようにハルの動揺を鎮めていく。
そして―――。
心配そうな視線で促されるままに、いつの間にかハルは今悩んでいる自分の―――心情を、詳しく話してしまっていた。
彼女は本当に人の話を聞くのが上手いと思う。急かすようなことは一切せず、ただただ頷いてくれる。
ただの一度も否定せずに。まるで姉のような優しさをもって。
「……なるほど。女の勝負服にケチをつけたのね」
「い、いえっ!そういうことじゃなくて、……ただ、何も。何もなかったのが……。ハルは欲張りです……」
「つまり女に恥をかかせたのね。分かったわ、ハル。私に任せなさい」
「あの、ビアンキさん?」
しかしいざ語り終わってみると、話が何やら違う方向へ飛んでいるような気がする……。
でもそれ以上に、ハルは自分の心が軽くなったことに気づいていた。多分誰かに吐き出してしまいたかったのだろう。
「大丈夫よ、元気を出して。そう思うことは別に悪いことじゃないんだから」
「ビアンキさん……」
「あなたはいつも通り、笑っていてちょうだい。涙はもっと他の場面で使うべきだわ」
「は、はひ!」
「まあ、それはまた今度教えるわね。ハル」
「ありがとうございます、頑張りますっ!」
学校を出るまではあんなに憂鬱だったのに、今ではこんなにも自然に笑えている。
そのことがただ無性に嬉しくて。ここ数日ぶりの明るい気分で、ハルはビアンキと別れて家路についた。
「……昨日、何かあったみてーだな。ツナがあんなこと言い出すなんざ」
「女の服ひとつ褒められないで、何がボスなのかしらね。まったく、男の風上にもおけないわ」
「は、そりゃあいつがニブツナだからだろ?」
「流石にそれも、限度があるわよ―――」
ハルが去った後の公園で、こんな会話が交わされていたとも知らずに。